06.涙の降る音



「八つ当たりかよ、情けねえな。アイツの言ってたこと、俺は正しいと思うけど」
「っ! うるせぇ! どいつもこいつもバカにしやがって」


 バカにしたつもりはねぇんだけどな。

 そう言おうとして、口を噤んだ。完全に頭に血が上っている。喧嘩上等とでも言うように俺に近付いてくる姿を見て、冷静な言動など期待しない方がいい、と即座に判断した。


「お前に何がわかんだよ御幸! 一年のときからレギュラーのお前に!!」
「ああ、分かんねぇさ。けど、それがアイツへのあの酷い言葉と何が関係ある?」
「⋯⋯コイツ!!」


 ぐっと胸倉を掴まれる。凄い剣幕で睨みつけられた。食いしばった歯の隙間からは、フーッと怒気が溢れ出ている。

 自身の襟元にかかったその手首を掴み返す。力を込める。ぎり、と相手の骨が締まる音がする。
 

「⋯⋯離せよ」
「⋯⋯くっ」
「離せ」
「⋯⋯チィッ!」


 ドン! と強く押され、胸倉から手が離れる。反動で一歩、足が動いた。「御幸、お前も言い過ぎやぞ」とゾノの声がする。

 へいへい、と適当に返事をして、踵を返す。取り敢えずあいつを追いかけようと思った。走っていったあいつの背中が、残像のようにチラついて消えない。

 ──追いかけてどうする。何て声をかけるつもりだ。自問してはみるが、答えは返ってこない。しかし追いかけないわけにもいかない。

 厄介だな。そう思う。
 掴みきれない自身の感情が、ひどく厄介に感じられた。







 名前を追いかけ、室内練習場を出る時だ。外の暗がりから突然現れた影にぶつかりそうになり、俺はすんでのところで踏みとどまった。


「お、っと」
「⋯⋯御幸か。今、苗字がすごい勢いで走って行ったぞ。まだ足治ってないはずなんだが⋯⋯」
「やべ、足のこと忘れてた。クリス先輩、アイツどっち行きました?」
「一瞬コッチへ来かけたんだが、多分俺が来るのが見えたからだろう、すぐに引き返して向こう行ったぞ」
「あざッス!」


 礼もそこそこに、クリス先輩の示したほうへ足を向ける。といっても、そっちには俺たちの寮しかない。

 あいつ、何も考えずに走ったな。

 一応寮の端まで来てみたが、あいつの姿は見えない。どこ行った。そのまま帰ったか?

 帰ったなら帰ったで、後で電話でもしようか。いや、でも、俺がそこまですることもないのか。などと考えていると、ふと、階段が目に入った。

 ⋯⋯こっちも一応、行ってみるか。

 この時間なら、まだ皆自主練をしている。人通りは皆無に近い。人目を避けるにはもってこいの場所だ。

 そう思い、段差に足を掛ける。

 階段を昇った先。探していた姿があった。二階の廊下に蹲るその体躯を見て、呆れとも安堵ともつかぬ溜め息が漏れる。


「名前」
「っ、一也くん」


 俺の声に、ぱっと上がった顔。
 そこに一瞬だけ垣間見えた泣き出しそうな表情に、胸のあたりが変に締め付けられた。気がした。


「何してんの? 俺の部屋の前で」
「え? ここ一也くんのお部屋?」


 部屋の前のネームプレートを確認するように、名前は上を向いた。少しだけ泳いだ視線は、「御幸一也」の文字のあたりで止まった。


「ほんとだ。わたしってばすごい」
「?」
「一也くんに本借りようと思ったの。このあいだの続きの、球種のやつ」
「ああ、あのシリーズ分かりやすいだろ」
「うん。ていうか聞いてくれる? アホみたいなわたしの話」
「アホな話っつうのに聞くかよ」
「えっ、聞いてよ」
「はいはい、どうぞ」


 蹲ったままの名前の隣に、俺もしゃがむ。膝の上に腕を乗せ、いつでもどーぞという体勢を取った。

 こほん、とひとつ。
 咳払いをして、名前は話し始めた。


「先輩のティーバッティングが終わったあとのことです。一也くんが自主練中ってことをすっかり失念していたわたしは、本を借りようとここへ向かいました。不運にも途中でゴキさんに遭遇してしまい、それはもう無我夢中で走りました。なんとか逃げ切ったはいいものの、まだ完治していない足のこともすっかり失念していました。たくさん走ってしまった足は、思い出した途端痛くなって、思わず蹲ってしまいました。その場所がなんと、たまたま一也くんのお部屋の前だったというわけです。そしてそこに、運良く一也くんが現れたのです。めでたしめでたし」
「ははっ、長え」

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