06.涙の降る音


 その日の夕方遅く、空の色が夜に向かい濃くなっていく頃だ。部員全員が室内練習場に招集された。本日の試合結果も踏まえ、ついに一軍入りのメンバーが発表されるのだ。

 ピリついた空気が刺さる。選手たちの顔には緊張が明らかだった。気づけばわたしまで手のひらを握りしめていて、そこには薄っすら汗が滲んでいる。


「一軍昇格メンバーは⋯⋯」


 片岡監督が、真っ直ぐに選手たちを見据えながら芯のある低音で語る。監督の声以外の音が何も聞こえないと錯覚するほど、皆微動だにせずその声に集中している。
 

「一年小湊春市、同じく一年沢村栄純。以上だ」


 ぐわん、と空気が大きく揺れた気がした。
 それぞれの心情が空気を湾曲させ、足元が歪む感覚さえする。


「選ばれなかった三年だけここに残れ!」


 監督に言われるがまま、歪んだままの地面を踏みしめ、外へと足を向ける。沢村くんは、歯を食いしばり拳を固く握りしめ、俯いたまま動かない。それを見たもっちー先輩が蹴っ飛ばし連れて行く。

 外へと出る。夜の色がより濃くなり、満月が浮かんでいた。

 足元の歪みに負け、わたしは入り口の横でしゃがみ込む。覚束ないのが足元なのか、こころなのかわからない。

 二年半、その殆どすべてを野球に費やしてきた先輩たち。その努力、葛藤、苦しみは、ひとえに甲子園を目指し、レギュラーを目指し続けた強さの証明であり、彼らの結晶だ。

 その歳月を越えてきた先輩たちの今の気持ちを考えると、立ち上がることができなかった。

 ふと隣を見ると、沢村くんもその場で立ち尽くしていた。クリス先輩のことを想っているのだろうと、察するに余りある。

 遠くから、先輩たちに語りかける監督の声が聞こえる。


「辛く悔しい想いなどいくらでもしたことだろう。だがお前らは決してくじけず、最後までこの俺についてきてくれた」





「これからもずっと⋯⋯俺の誇りであってくれ」





 全身が痺れるような衝撃だった。

 このひとは、監督は──

 涙の落ちる音がする。
 先輩たちから、監督の胸の内から、その想いを受け取った一軍選手から、沢村くんから。落っこちてくる音がする。

 静かで、優しく、そして強かな音だ。

 それに引っ張られ零れそうになる涙をぐっと堪える。
 夏の本戦はこれからだというのに、先輩たちの夏は──ここで終わり。こんなに厳しく残酷な現実が、裏側に隠れているなんて。

 両膝に顔をうずめる。

 ザリ、と足音がして、その直後。 
 頭上から、結城先輩の声が降る。


「俺たちにできることはただひとつ⋯⋯選ばれなかったあいつらの分まで、強くなることだ」


 沢村くんに向けられたその言葉に、わたしはそっと顔を上げた。一軍の先輩たちの強い瞳のなかで、確かな覚悟が静かに揺らめいている。

 託された想いを受け止める強さ。
 背番号を手にするということは、そういうことなのだ。

 壁に背を預け黙っていた一也くんが、一歩、沢村くんに近づく。


「これでもう、とことん突き進むしかなくなったな。俺も⋯⋯お前も」


 クリス先輩の分まで戦い抜くと決意した一也くんの強い眼差しを、わたしはしっかりと脳裏に焼き付けた。

 強くなろう。沢村くん。

 みんなで一緒に。

 このひとたちと一緒に甲子園を目指せることが。心底尊敬できる選手とともに在れることが。

 ──幸福だと思った。





 ◇涙の降る音◆

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