07.夏直前合宿─そこは地獄なり─


 タイムのあとから、降谷くんの球に力が戻った。一也くんの言葉が効いたのだろう。

 信頼、か。
 いいなあ。

 わたしにはまだ遠いものだ。
 うるせぇな、と突き放された時のことが蘇る。気にしないと、へこたれないと決めたはずだった。しかしあの言葉が不意にこうして襲いかかり、未だに指先が震える。

 ぎゅ、と目を瞑る。そっと指先を握る。


「⋯⋯どうした、苗字?」
「⋯⋯なんだかさっきの風で砂入っちゃって、目開けれません」
「頑張れ。御幸の打順だぞ」
「ぐう⋯⋯それは頑張ります」


 クリス先輩に一也くんとのことを話したことはない。きっと一也くんも話さないはずだ。しかし今の口振りからは、わたしの気持ちに少しばかりか気付いているように思う。

 問うてくるわけではなく、かといって押し付けがましくもない。至極自然な会話だった。

 クリス先輩はこんなところまで大人だ。

 その回を守りきり、九人がベンチへと戻って来る。そのまま打席へと移動する一也くんが、降谷くんに向かって言葉を投げる。
 

「さてと⋯⋯点でも取ってくるかな。誰かさんのために」


 息を吹き返した我らが投手のために、自ら点を取る宣言である。これを聞いた降谷くんは、驚いた表情を見せた。

 しかし悲しきかな、彼から打順が始まるということは、ランナーがいないということである。ランナーがいない時の彼のバッティングは、──よくない。あんなに格好いい台詞を残して打席に立ったその結果はしかし、呆気なくピッチャーゴロに終わる。

 一也くんを見る眼差しに、一瞬尊敬さえ映ったように見えた降谷くんが、ベンチでズルっとずっこけた。


「あはっ、さすがランナーなし一也くん」
「あのバカ⋯⋯」


 高島先生は頭を抱えている。


「ランナーがいたら別人なんですがね、御幸は」
「ムラがありすぎるのよ」


 結局三者凡退に終わり、──次の守備の時のことだ。
 降谷くんの投球を見た誰もが、驚きに目を丸くした。一気にざわめきがグラウンドを取り巻く。


「な、なんだ今の球⋯⋯」
「ストレートが沈んだ?!」
「わかんねェ⋯⋯けど、御幸が後ろに逸らすなんて初めて見たぞ」

 
 皆が口々に言う。
 ストレートに見えた球が、打者の手元で急激に変化した。バットは宙を切り、球はミットをすり抜け一也くんの後ろへ転がった。


「一也くんが逸らすなんて⋯⋯え、てことは、今の球投げたのぶっつけ本番ってことですか?」
「多分そうだろう。御幸が捕れないくらいだからな」


 答えてくれたのは、まさかの監督だった。


「なんてこった⋯⋯、です」


 ぶっつけ本番で変化球を投げさせる彼にも、突然返答をくれた監督にも驚いた。なんてこった。思わずそんな言葉が零れる。

 クリス先輩が問うてくる。


「今の球⋯⋯どうだ。どう見る?」
「ストレートから落ちる球⋯⋯フォーク? を投げたかったのかな、と思いますけど、でも今のは⋯⋯あんな変化をするのはフォークって言うんですか?」
「いや⋯⋯慣れていない降谷のことだ、はさみ込みが甘かったか⋯⋯あとで近くで見せてもらいたいものだな」


 こくんと頷く。

 楽しい。どんどん新しい彼がみられる。
 そして皆が口を揃えて言う「御幸が後ろに逸らすなんて」という言葉が、自分のことのように嬉しかった。

 六回からは沢村くんが登板した。バックの活躍もありその回を無失点に抑えベンチへ戻った彼に、今目の前で、一也くんからのダメ出しが炸裂していた。

 故に沢村くんの顔は、現在非常に不細工だ。


「甘い所ばっか投げてたら、いつ点を取られてもおかしくねーぞ」
「つーかインコースしか構えてねーじゃん! もっと色んなトコに構えてくれたら俺だって⋯⋯」


 安定のタメ口で出た反撃は、「は? 今なんて? もっかい言ってくれよ」とめちゃくちゃ意地悪な笑顔で容易くあしらわれている。

 
「ふふっ、沢村くんも大変だね」
「冗談、大変なのはコッチ。俺のほうだろ」
「一也くんはすごく楽しそうだよ。⋯⋯ね、沢村くん、相手のピッチング見てみて。さっきの一也くんと同じとこに構えてるよ」
「え?」
「そうそう、いいか?」


 インコース攻めの意味を、一也くんが説明していく。彼の言葉もクリス先輩同様にわかりやすい。おこぼれに与りながら、わたしも自身の頭にインプットしていく。

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