07.夏直前合宿─そこは地獄なり─


 相手の徹底したインコース攻めの結果、四球で結城先輩が出塁する。攻めにいった結果としての四球は、大きな意味を持つという。

 一也くんは、続く増子先輩を「アウトコースの球を打たされるな」と予測した。その直後だ。外の変化球に手を出した増子先輩が、──ファーストフライに終わった。

 的中した予想に、沢村くんは驚きを隠せない。本当にわかりやすい子だ。表情が豊かで、良くも悪くも素直である。


「な? 奥が深いだろ、ピッチングってやつは」


 打席に向かいながら、一也くんが言う。ピタリと予想を当ててみせたことで、凄まじい説得力がある。

 しかしながら、未だにノーヒットの彼である。ここらでひとつ、打ってほしい。結城先輩の二塁への盗塁のおかげで、彼の集中力も爆上がりなはずだ。


「一也くん、狙ってきそうですね」
「ああ。相手はどうピッチングを組み立ててくると思う?」
「ええと⋯⋯一也くんは今日まだ打ってないし、今がインコースだったから⋯⋯アウトコースで勝負にくる? うわ、その球きたら一也くんすごく打ちそう」
「フフ、そうだな」


 捕手が構える。アウトコースだ。投手が振りかぶる。一也くんが、──右足を思い切り踏み込んだ。

 カッ!
 
 と、小気味いい音が響いた。

 左打ちの一也くんへのアウトコース。そこへ投げ込まれた球が、ライト線に沿うように飛んでいく。


「なんて強引な。無理矢理引っ張ったよ今の⋯⋯」


 抜群のバッティングセンスを見せる小湊くんさえ驚いている。


「──かっ、こいい」


 気づけばそう呟いていた。
 鳥肌が立った両腕を抱えるように、背を丸める。なぜこんなに格好いいのだろう。自分を抱き締めるようにして、その身震いをやり過ごそうとする。


「⋯⋯泣くな、苗字」
「泣いてません。でもちょっと、⋯⋯苦しいです」
「⋯⋯ああ」


 苦しい。このままでは一也くんに殺されてしまう。でもそれもいいか。いやよくないか。纏まらない思考が物語るのは、ただただ、彼への想いの大きさだった。

 この苦しさから逃れられないまま、桐生戦は【桐生 十四−青道 七】という結果で幕を閉じた。





 合宿の最終日は、青道、稲城実業、修北の三チーム総当り戦となっていた。

 稲実ということは、そう、兄がいるチームである。兄に会うのは、春休み以来だ。青道に入学してからは、兄が野球をする姿をまだみていなかった。

 互いに主力を温存したまま対稲実戦が終わり、選手たちの昼食の準備を手早く済ませたわたしは、兄の姿を探していた。第二試合の稲実対修北で、兄はおそらく投げる。その前に声をかけたかった。


「ん、名前ちゃん、ウロウロしてどーした?」
「もっちー先輩。ちょっとお兄ちゃん探してて」
「兄ちゃん? って?」
「え?」


 ──あれ?
 兄が“稲実の成宮鳴”であることは、もっちー先輩には話していなかっただろうか。

 だとしても入部してから暫く経つし、適当なところで適当に誰か──といっても、もとから知っているのは一也くんか副部長くらいか──から聞かされ、皆知っているものだと思っていた。

 彼と一緒にいた一也くんに尋ねてみる。


「一也くん、みんなに言ってなかったの?」
「ああ、別に言うことでもないだろ。お前はお前だし」
「わたしはわたし⋯⋯」


 成宮鳴の妹。
 彼の中で、わたしのポジションがそこから動くことはないと思っていた。けれど。わたしを、わたしとして見てくれていたというのか。

 じんわりと胸があたたかくなる。

 そして、他人の情報──と言うほど大袈裟なものでもないけれど──を軽々しく口にしない彼と副部長を好ましく思った。


「あれ、でも、じゃあ皆にはなんて言ったの?」


 傍から見たら、先輩(一也くん)に対してこんな態度を取っている後輩(わたし)である。どんな関係なのかと聞かれそうなものだけれど、どんな説明をしていたのだろう。


「え? なんてって⋯⋯俺のファン」


 ぷくくと笑って、語尾にハートさえつけて彼は言う。


「やっぱり⋯⋯」


 まあ、ファンであることにも変わりはないか。幸いそのことで周りにイジられることも今のところないし、いいや。いいことにしよう。

 皆様の揶揄ったりしない寛大なお心に感謝していると、もっちー先輩が「オイ、あそこ」と指を差した。

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