07.夏直前合宿─そこは地獄なり─


「あそこにいんの沢村じゃね? 一緒にいんのは⋯⋯ゲッ、稲実のやつらじゃねえか。あんニャロ、ぜってー余計なこと喋ってるだろ」


 もっちー先輩が走っていく。
 確かに沢村くんなら、何も考えずにこちらの情報を話してしまいそうだ。宿敵ともいえる稲実に。

 それは非常にまずい。
 わたしも後を追いかけようとしたところで、沢村くんの影になって見えていなかった人物に気づく。 


「⋯⋯ていうかアレお兄ちゃんじゃん」


 沢村くんから情報漏洩を受けていたのは、なんと兄であった。







「ペラペラとこっちの情報喋ってんじゃねーぞ! このバカが!!」


 もっちー先輩のタイキックが炸裂する。
 あれは痛い。絶対痛い。その証拠に、沢村くんは痛みに声も出せず、お尻を押さえて悶えている。


「さ、沢村くん、お尻はご無事ですか」
「くう⋯⋯なんとかご無事だ⋯⋯多分な⋯⋯」


 子鹿のように震えている沢村くんに声をかける。痛がっているところをさすってあげたいけれど、場所が場所がだけに触ることもできず、微妙な位置で手が彷徨う。

 そんなわたしに向けて、おおきな声。


「あーっ! 名前! やっと見つけた!」
「わたしこそやっと見つけた! だよ」


 それは勿論兄の声で、わたしは顔を上げた。

 久しぶりに会った兄は、何と言うか──特段変わった様子はなかった。お元気そうでなによりだ。そしてその兄と一緒にいるのは、雅さん。原田雅功。兄の女房役にして稲実の不動の四番、さらにキャプテンを務める人である。

 
「何、名前ちゃんこいつと知り合いか?」
「あ、」


 このひとが兄なんです。
 そう言おうと思ったのに。視界が突然、兄の後頭部に遮られた。わたしの目の前にずい、と兄が身を出したからだ。


「ハア? 名前ちゃんだって? 何お前、名前の何なの」
「ちょっと、」
「ああん? 何って俺らの大事なマネージャーだろ。お前こそ何だよ」
「も、もっちー先ぱ」
「ムカ〜〜! 何こいつ!」


 ああもうどうしよう。収集がつかなくなってしまった。互いに聞く耳を持ってくれない。会話に入り込む隙間がない。もっちー先輩はこう見えて(?)元ヤンチャボーイだし、兄は未だにシスコン健在であるし。

 困っていると、今度は野太い声が混ざる。


「鳴、キャンキャン吠えるな、みっともねぇ」
「だって雅さん、こいつが!」
「あっ、雅さん、こんにちは」


 兄の気が逸れたところで、すかさず会話に割り込む。兄と争うようにして雅さんに話しかけた。


「久しぶりだな。ちょっと見ない間に高校生っぽくなってんじゃねぇか」
「ふふ。お兄ちゃんがいつもお世話になってます」
「ああ、本当に。見ての通りだ」
「あははっ」


 雅さんも変わらない。
 ガッチリとした大きな体躯。ぶっきらぼうな口調だけれど面倒見が良くて、わたしからすると兄というより、最早お父さんといった感じだ。

 このやり取りを、兄はぶす〜っと見ていたし、もっちー先輩は口をあんぐり開けていた。一也くんは終始呆れ顔だ。


「なっ⋯⋯兄ちゃんってこいつかよ?! そういや確かに名字同じだけどよ、⋯⋯なんか全然似てねぇな」
「いや、似てるとこもあんぞ。アホなとことか」
「「アホ?!」」


 口を揃えた兄妹をスルーし、もっちー先輩は一也くんに視線を向けた。


「御幸⋯⋯お前はよく今日まで黙ってられたよな」
「サンキュ」
「褒めてねぇ」


 そんなこんなで結果的にわいわい雑談をしていると、雅さんが口を挟んだ。


「感動の兄妹再会のとこ悪いが、もう行くぞ、鳴。⋯⋯俺、こいつ嫌いなんだよ」


 こいつとは勿論一也くんのことである。


「あ、そーか。去年の夏、一也のリードに完璧に抑えら──」
「るせえ、行くぞ!!」
「はっはっはっ。じゃあ後でな! 名前、俺のことよーく見ておいてよね」
「うん」


 離れていく二人の背中を見送る。
 未だに地べたに這ったままお尻の痛みと格闘している沢村くんに、一也くんが声をかける。


「沢村⋯⋯同じサウスポーとして、あいつのピッチングよーく見とけよ」
「え?」
「去年の夏の予選、準決勝⋯⋯ウチの打線は、二番手で出てきたあいつの球を、最後まで捕らえられなかったんだ」


 続いたもっちー先輩の言葉に、記憶が蘇る。

 真夏のうだるような暑さ。真上から照りつける太陽。耳に響く歓声。舞い上がる砂塵。甲子園をかけた、あの緊張感。あの熱量。スタンドから、兄と一也くんの姿をみていた昨年の夏。

 青道にとっては正に因縁の相手だ。
 兄を打ち崩さなければ、甲子園に手は届かない。

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