青道の選手は言葉を詰め、兄の姿をみていた。
キレのあるスライダー。地面に突き刺さるようなフォーク。これら変化球を際立たせる、MAX148km/hのストレート。
縦と横の変化に、力のある真っ直ぐ。
いつ見ても兄のピッチングには、形容し難い美しさがある。これこそがピッチングなのだと。そういう気にさせられる。
「鳴のやつ調子良さそうだな。どうだ? お前から見て今日の鳴は」
一也くんが問うてくる。
わたしが答える前に、伊佐敷先輩が口を挟んだ。
「あん? なんで苗字に聞くんだ?」
「そうだ、知ってました純さん?! 名前ちゃんて苗字の妹らしいッスよ! ヒャハ!」
「「⋯⋯マジで」」
皆の視線が向けられる。
「⋯⋯あは、自己紹介が遅くなりました。隠してたわけじゃないんですけど、わざわざ言うことでもないかと」
嘘だった。
聞かれない限り、言わなくていいと思っていた。
関東No.1サウスポーと呼び声高い兄。高校野球界では有名人といってもいい。誇らしい。兄を誇りに思う。
だからこそ、自信がないのだ。そんな選手の妹だと、胸を張って言える自信が。案外、兄ばかりをシスコン呼ばわりできないかもしれない。
「っか〜〜どおりで御幸と旧知なわけだ。しかも変に野球に詳しいし⋯⋯なあクリス?」
「⋯⋯俺は薄々気付いていたが」
「てわけで、鳴の球を一番見てきたのは、こいつですから。で、どうだ?」
「⋯⋯絶好調、だね。皆に注目されてるのが嬉しいんじゃないかな。だけど、まだセーブしてる感じ⋯⋯あと、まだ」
──投げてない球がある。
そう言いそうになって、口を噤んだ。
どちらが正しいのだろう。仲間に兄の──敵となる兄の──情報を伝えるのと、兄が隠しておきたいのならその意を汲むのと。
「まだ、何?」
「⋯⋯ううん、何でもない」
兄のことだ。
これだけ青道の選手に注目されていれば、自らその手の内を晒してくれるかもしれない。自身の力を誇示するのと、威嚇の意味も込めて。
というか投げてほしい。そうでないと、わたしが困る。どっちつかずの状態の、わたしが非常に困る。
お兄ちゃん。可愛い妹のために投げて!
そう自分勝手も甚だしく思ったのも束の間。
兄が左親指で帽子の鍔をくいっと触った。ああ、このサインは⋯⋯あの球を投げるつもりだ。
やはり兄は、いつまで経っても兄だ。期待を裏切らないその強気さ。傲慢ともとれるその自信。これが兄なのだ、と安心する。
兄が投球モーションにはいる。ストレートと同じ腕の振り。兄のこの球に限っては、打者の手元までは同じ軌道。しかし、予想されたタイミングで打者のもとに、──届かない。
ストレートがくると踏んでいたのであろう打者のバットは、球が来るより前に振られ、虚しく空を切る。打者からすれば、来るはずの球が来ない、という状況だ。「バットを振り遅れる」の逆である。
所謂これが──チェンジアップだ。
昨夏、兄はまだこの球を投げてはいなかった。おくびにも出さないけれど、血の滲むような努力の賜物だ。
これを見た青道選手は、言葉を失った。
縦と横の変化に、力のある真っ直ぐ。そのうえ緩急である。これほど敵に回したくない投手を、わたしは知らない。
「⋯⋯お前、鳴のこれ知ってたか? ⋯⋯つーかさっき言いかけたのがこれか」
「⋯⋯⋯⋯えへ」
誤魔化すように笑ってみせる。
あわやまたデコピンでもされるかと思ったけれど、一也くんは寧ろ、闘争心を駆り立てられた様子で笑んでいる。
レギュラーの皆さんもそれぞれ闘志を燃やしていて、ああ、お兄ちゃんてば見事に正の方向に煽ってくれたなあ、とある意味感心する。
「苗字⋯⋯あいつにクセはあるのか」
「あ⋯⋯この球に関してはわたしもまだ」
「そうか。絶対に見つけるぞ」
「はい」
クリス先輩が燃えている。皆が燃えている。この球を見ても臆することなどまったくなく、闘志を焚き付けられる。強いチームだなと思う。
わたしも決意を新たに頷いた。
◆夏直前合宿─そこは地獄なり─◇