08.トワイライト



「うおおおお! き、奇跡だ!」
「沢村くん! もしや!」
「見てくれ! 見事な赤点回避!」


 三十二点、三十五点、彼ベストの四十点⋯⋯ギリギリで赤点を回避した彼の答案用紙を手に、金丸くんと顔を見合わせる。


「⋯⋯わたしたち、頑張ってよかったね」
「ああ、ヤマはらして正解だったな⋯⋯」
「毎夜のスパルタご指導ありがとう」
「いや、お前こそ、こいつのためにあんなにノートまとめて大変だっただろ」
「ううん」


 わたしたちがしみじみと試験前の日々を振り返っている間、彼は嬉し涙を流しながら自己ベスト(四十点)を春乃ちゃんに見せている。

 親の心子知らず、である。
 
 まあ、何はともあれよかった。これで心置きなく練習に集中できる。


「金丸くんは、案外面倒見がいいというか⋯⋯アレだね。意外と沢村くんのこと、認めてるんだね」
「バカ、そんなんじゃねぇよ。クリス先輩に頼まれてたし⋯⋯一応、俺ら一年の代表みたいなもんだろ」
「ふふ、照れてる」
「うるせ、照れてねえ」


 そっぽを向いて後頭部を掻く彼の姿に、ハリセン片手に鬼のような形相で沢村くんをしごいていた姿が重なる。素直じゃないなあ。と笑みが漏れた。





 この日の夕方のことである。

 グラウンドの周囲にある傾斜がついた芝。その一部に作られた階段を登ると、堤防のような形でアスファルトが敷いてある。そこからわたしは、自主練習をする選手たちをぼうっと眺めていた。手には先程監督から手渡された試合用ユニフォームが、ぎゅっと握られている。

 今日は背番号が配られる日だった。
 背番号一 丹波先輩で始まり、背番号二十 沢村くんで終わる計二十人の一軍選手。皆の想いを背負った彼らは、背番号を手にしたことでより凛として見えた。

 そんな折、監督がわたしたちマネージャーに配ってくれたのが、青道の試合用ユニフォームだった。


「お前たちも本当によく手伝ってくれた。チームの一員として、スタンドから選手と一緒に応援してくれるな」


 監督の言葉に、今でも胸が痺れる。選手をサポートすることしか出来ないけれど、それでも、わたしたちも一員だと。そう言ってもらえた気がした。

 ひとりじーんと余韻に浸っていた、そんな時だ。ザ、と地面を靴が擦る音。それと同時に声をかけられた。


「お、いたいた。こんなとこで何やってんの」
「何だろう⋯⋯しあわせを噛み締め中?」
「はい?」
「一也くんこそ、どしたの」


 素振りか、はたまたバッティング練か。わざわざ探しに来るくらいだから、手伝いが必要な練習なのだろう。とすると、バッティングのほうか。手にもバットが握られて──


「ってあれ? それ、何持ってるの?」
「あ、そうそう。名前さ、背番号縫ってくんね?」


 彼の手にあったのはバットでもグローブでもボールでもなく。ユニフォームに背番号、そして裁縫セットらしきものだった。


「え、わたし? なんで」
「俺、料理はできっけど裁縫は苦手なんだよ」
「わたしだって苦手です」


 入部前に高島先生にも言ったけれど、そういう女子力的なものはあまり期待しないでいただきたい。

 野球と一也くんに青春を捧げながら、ぼへら〜っと生きてきてしまったのだ。花嫁修業はまだまだこれからの身である。


「去年はどうしたの?」
「自分で縫った。親父は裁縫とかしねえし、まあそもそも寮だしな。マネージャーとか、食堂のおばちゃんに頼んでるやつなんかもいたけど」
「ふふ、おばちゃん」


 詳しいことは知らないけれど、彼の父は男手ひとつで彼を育ててきた。必然的に彼が家事をする機会は多く、なかでも料理は得意だと言っていた。

 というか裁縫セットを寮に持ってきているあたりに、素晴らしい家庭力が窺える。背番号のことを見越していたというのだろうか。


「今年はお前いるし。自分でやるよかいいだろ、お守りっぽくて。⋯⋯って何その顔」
「⋯⋯一也くんてお守りとか信じるの?」
「いや、別に」
「そうだよね。野球に奇跡はねぇんだぜ、とかって言いそうだもん」
「ははっ、当たり」


 では、何故。彼はわたしにこんなことを頼んでいるのか。まったく話の筋が通っていない。それにもしかしたら、いや、もしかしなくても彼のほうが上手に縫い付けられるだろうに。

 その疑問が顔に出ていたのだろうか。彼は「いや、さ、」とどこか言い訳をするように、歯切れ悪く話し始める。

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