鳴がこいつの応援を欲しがる訳が、予選が近付くにつれ分かるようになった。
別に、誰かのために野球をしているわけではない。自分自身の力でグラウンドに立つ自負もある。俺は、俺のことを信じている。
しかしこいつから向けられるひたすらに無垢な信頼は、それとは全く別の強さを、心髄に揺るぎなく根付かせる。
そのことを自覚するだけなら、特段問題ではなかったのだが。そのとき俺は、思ってしまったのだ。こいつの想いの矛先が、俺だけに向けられるものであってほしい、と。青道という高校ではなくて、選手皆でもなくて。
──俺だけに。
ユニフォームに真剣な視線を落とす横顔を、寝転んだまま目だけで見上げる。陽が落ちていくにつれ、睫毛の影が伸びていく。
視線を外し、空を仰ぐ。カラスが三羽飛んでいく。夕陽の届かぬ空の高いところは、瑠璃色に近く移ろっていた。雲はそれぞれの色を拾い、複雑な色調を呈している。カーン、と誰かが球を打つ音が微かに聞こえる。野球の音が酷く遠い。こいつの隣は、いつもそうだ。こんなに近い野球を、やけに遠くに感じるような。言い難い隔絶感がある。
俺を見つけたあの日から、こいつは俺の日常に在り続けた。こいつのいない日々を、俺はもう思い出せなくなっている。考えられなくなっている。
目を逸らしていただけで、とっくに分かっていたはずだった。自分の気持ちに気づいていたはずだった。
沢村の背にこいつが触れた時。降谷がこいつの腕を掴んだ時。そこに芽生えた確かな嫉妬心に気付かないほど、子どもではない。自分に向けられるこれほどの好意に気付かないほど、子どもでもない。
それなのにこいつの気持ちを躱し続けていたのは、──怖かったから。
こんなにも真っ直ぐに俺を見てくれるこの想いを、俺は、傷付けずに受け止めることができるのか。この直向きさに応えることが出来るのか。
そんな不安から、求められない。
手を伸ばせば触れる距離にいるのに。伝えられない。
それだけでなく、そこには確かに、驕りや慢心があった。俺から求めなくたって、こいつは俺を見ていてくれる。信じていてくれる。一種の優越感と言っても過言ではない。
そのくせ、予選前にそれを確かめたくて、問うてしまった。
俺の野球を、俺のことを。
──信じているかと。
その稚拙な独占欲が祟った。こいつからしたら、何年もかけて伝えてきた信頼を、それに乗せた思慕を疑われたと思うだろう。
俺の胸を叩き、こいつなりのありったけの暴言もどきを吐くその腕を、慌てて掴む。頬を朱に染め泣き出しそうな、しかし絶対に泣こうとはしない表情だ。辛くて、苦しくて、なのにそれでも愛しいのだと。訴えてくる切ない表情に、絞られるように心臓が痛んだ。
気付けば俺はその身体を、──抱きしめていた。
「⋯⋯っ?!」
腕に閉じ込めた細い体躯が、びく、と強張る。やべえ、と心の中で呟いた。
やべえ。つい手が出ちまった。
咄嗟にこんな行動をとってしまうくらいには、俺はもうとっくに──こいつを想っている。思った以上に柔くて甘い感触に、目眩を覚えてしまうほどに。
分かってる。
分かってんだけど。
今更どうしたら良いというのだろう。こんなに逃げ回ってきたくせに。覚悟もないくせに。なのに、こんなふうに抱きしめたりして。支離滅裂だ。情けないどころの話ではない。
「⋯⋯一也くん、あの、これ、どういう状況⋯⋯同情とかならいらないんだよ」
「⋯⋯そんなんじゃねぇよ」
「じゃあなに⋯⋯」
名前の指が俺のシャツを掴む。俯いたままのその口から、俺の胸元にぽつぽつと言葉が落ちる。微かに震える声は、静かなのに意を決したような強い響きを携えていた。
「⋯⋯一也くん、知ってる? わたしね、ずっと、ずっと、ずーっと、一也くんのことがすきなんだよ」
「⋯⋯名前」
「⋯⋯っ、すき、なの。迷惑かもしれないけど、この想いが変わることなんてない。仕方ないの。出逢っちゃったんだもん」
「名前、」
「どうしようもないくらい、すき、で⋯⋯っだからこんなふうにされたら、苦しくて、もう、⋯⋯っどうしたらいいかわかんな、──むぐっ」
「⋯⋯お前喋り過ぎ」
自分より随分と小さく頼りない身体を抱く腕に力を込める。淡く香る髪が頬を擽った。
本当に、喋り過ぎだ。
ずっと留めておいたのだろうそれが、半ば自棄のように諾々と流れて来る。放っておけば、そのまま違う場所に流れていってしまう気がして。腕に力を込めた。
この上なく自分勝手なことをしている自覚は、──めちゃくちゃある。