09.夏が世界にこびりつく


「名前お前、なに侍女みたいなことしてんの?」
 呆れた顔の一也くんが呆れた声を出した。

「あはっ、侍女って」
「降谷も甘えてないで早く食え。そんで明川学園の投手、よーく見とけよ。沢村もだ。お前らにないものを持ってるから」


 明川学園五番ピッチャー楊舜臣。台湾からの留学生だ。だからわたしも、今年の夏大が始まるまで彼の存在を知らなかった。

 その投球の特徴は、なんと言っても磨き上げられた制球力だ。捕手のミットが、構えた場所から動くのを見ることが殆どない。ともすればボール一個分の出し入れさえ可能かもしれない。精密機械とあだ名が付くのも合点がいく。


「ねえ一也くん。ああいう球ってどうなの? 捕手からすると」
「ん? そりゃ、構えたとこに寸分の狂いもなく球が来れば、堪んねぇだろうな。⋯⋯まぁ、こいつらみたいな滅茶苦茶なヤツらのリードするのも楽しいけど」
「聞き捨てならん! 滅茶苦茶ってなんですか! そっちこそ滅茶苦茶強気なリードしやがって! 投げるこっちの身にもなれってんです!」
「いやいや、受けるこっちの身にもなれって」
「くぬう〜〜〜〜〜!」


 沢村くんの一也くんに対する口調は、最早ご愛嬌のようなものになってきていた。誰も気に留めないし、一也くんすらもツッコまなくなってきた。

 正確無比なコントロールでの外と内の投げ分けと、低めに集めた丁寧なピッチングで、打たれたヒットはたった五本。ゼロ失点で明川学園が勝利し、同時に次の対戦相手に決定した。





 楊さんのピッチングに青道選手は皆一段と気合が入ったようで、練習には更に身が入っている。そんな中だ。ランニングを終えた降谷くんが、ふらふらとグラウンドを離れていくのに気付く。慌ててドリンクを掴み、後を追う。

 ⋯⋯トレーニングルーム?

 彼が向かった先に疑問を抱く。予定ではこれから投球練習のはずだった。まさかこのタイミングでウエイトなんてことはないだろう。どうしたのだろう。この暑さにやられて、具合でも悪くしてしまっただろうか。

 室内を覗くと、ダンベルで使用するフラットベンチにごろんと横たわる彼の姿が見えた。小走りで駆け寄る。


「大丈夫? 具合悪い?」
「⋯⋯⋯⋯暑い」
「この間からそれしか言ってないよ。ほら、ちょっと水分取って」
「⋯⋯⋯⋯眠い」
 ドリンクを差し出すより僅かに早く、彼が呟く。


「えっ? 眠いの?」
 とわたしが訊ねた時には、彼は既にくか〜と寝息を立て、夢の中へと旅立たれていた。


「寝るの早⋯⋯じゃなくて、降谷くん! 練習中に寝るのは流石にまずいんじゃ」


 肩をゆさゆさ。
 頬をぺちぺち。

 色々試してはみたものの、微動だにしない。

 マジですか。
 呆れながら寝顔を見下ろす。

 眠いのではなく、熱中症による意識障害的なものだったらどうしよう。と不安になったけれど、寝息は穏やかだ。素人判断だけれど、今は苦しいわけではなさそうである。少し様子を見てみよう。そう思い、どこからともなくうちわを取り出す。頭あたりを目掛けて緩く風を送る。

 その間にも、彼から流れる汗の量がすごい。うちわに続きタオルもどこからともなく取り出し、ぽふぽふと顔を拭く。これでも起きない。

 ぽふ。そよそよ。

 ぽふぽふ。そよそよそよ。

 こんなことを繰り返していると、背後──この時わたしは入り口に背を向けていた──から「こんな所に居やがった⋯⋯」と聞き慣れた声がした。
 

「あれ、一也くん」
「あれ、じゃねーよ⋯⋯またお前は何してんだよ、こんなとこで二人きりで」
「ちょっと介護を」


 うちわとタオル、それからドリンクの介護三点セットを示す。それを見た彼の眉が一瞬ぐっと寄せられて、むんずとタオルを奪われる。


「汗なんて拭いてやんな。さっさと起こせ」
「でも、何しても起きなくて」
「んなわけねーだろ。ほら降谷! 起きろ!! お前ランニングは終わったんだろーな!」


 あら不思議。何をしても起きなかった降谷くんは、一也くんの喝でたちまち深い眠りから目を醒ましましたとさ。めでたしめでたし。

 じゃなくて。

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