09.夏が世界にこびりつく


 むくりと起き上がった降谷くんは、未だぼーっとしている。しかし一也くんの喝が止むことはない。


「さっさと来い! ブルペンで投げ込みするぞ!」
「いや、もうちょっと休んでから⋯⋯」


 普段なら投球練習となれば目の色が変わる彼が、この台詞である。やはり暑さが相当堪えているのだろう。慣れない環境に、まだ身体が対応しきれていない。


「ま、待って一也くん! 降谷くん、暑いみたいで」
「そりゃ夏なんだから暑いに決まってんだろ。ったく、昨日もメシ残してたし、ちゃんと食わねーとブッ倒れんぞ」


 そう言って踵を返した彼の腕を、思わず掴み引き止める。

 兄の左腕には触れることすら出来ないけれど、捕手の腕には触れられるんだな。そんな自分の深層心理を、思いがけず目の当たりにした。

 何? と振り返った彼に、先程の言葉足らずを補うように言う。


「その、降谷くんは、こっちの夏は初めてだから」
「!」


 この一言で、彼は降谷くんの置かれている状況を把握したようだった。こういうことは本当に聡い人だ。


「⋯⋯分かった。今日はボールの状態だけ確認して、すぐ上がる。明日以降も日が落ちてからの調整にするか⋯⋯」


 この言葉を聞いて、わたしは手を離した。


「よかった。もう少し早く気付けたらよかったんたけど」
「いや⋯⋯ありがとな」


 彼はふうう、と長い息を吐いてから「練習戻るぞ」とわたしたちを促した。トレーニングルームを出て彼の横を歩く。降谷くんは少し後ろを、やはりふらふらとついて来ていた。

 
「ふふ、あんなにおっきいのに、降谷くんて中身は少年みたいだよね」
「ただの天然バカだろ⋯⋯まあでも、介護されてたのがこいつでまだ良かったよ。なんせ天然バカだから」
「?」


 意図を掴めず、首を傾げ説明を求めた。そしてこんなにバカ、バカ、と言われると、まるで自分が馬鹿と言われている気分になるからやめていただきたい。


「お前はもうちょい自覚を持てって話」
「???」
「分かんなくていいよ。今の俺には話す資格ないし、今は俺の問題だから」
「?????」


 また曖昧な言い方をされてしまった。先程より更に首を傾げてみたものの、これ以上の説明がなされることはなかった。

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