09.夏が世界にこびりつく



 試合の余韻を引き連れた自室でベッドに寝転がり、わたしは携帯を耳にあてていた。クーラーの心地よい風がさわ、と足首を撫でる。


「お兄ちゃん、どうだった?」
「どうもこうもないね、勝つに決まってんだろ!」
「ふふ、なんでそんなに不機嫌なの」
「また勝手に代えられたの! 俺が最後まで投げてればノーヒットノーランだったのに! ムカツク!」
「またそんなこと言って⋯⋯国友監督はお兄ちゃんのこと考えてるんだよ。大切なエースは出来る限り温存しておきたいでしょ」


 今日も今日とて、兄は電話の向こうでキャンキャンと吠えていた。途中で交代したとはいえ、試合の後なのに元気だ。


「お前たちも勝ったんだろ。機械みたいな向こうの投手、どうだった?」
「うん。やっぱりすごいコントロールだった。でもその分、一也くんみたいなタイプには組み立てが予想しやすかったみたいで⋯⋯スリーベース打ってたよ。『俺ら相性バッチリ』って笑ってた」
「一也のことはいーよ、昔からチャンスにだけは強いの知ってるし」


 打撃にはムラがある彼だけれと、本当に、不思議なくらい、チャンスにはべらぼうに強いのだ。

 左中間へとヒットを打ったその姿に、毎度のことながら胸に熱が篭った。それを放散するように奥の方から深い息を吐いていると、隣に座っていた春乃ちゃんに「名前ちゃん、大丈夫? 御幸先輩かっこよすぎた?」と問われた。

 春乃ちゃんは意外とぶっこんでくる。と、認識を改めた。


「楊さんってね、夏は今回が最後なんだって」
「何で? まだ二年だろ」
「留学前に台湾で過ごした期間がカウントされちゃうとかで、春で高野連の参加資格がなくなっちゃうんだって」
「⋯⋯ふーん「」


 海を渡ってきたエースの、最後の夏。それだけに彼のプレーには鬼気迫るものがあった。彼の仲間もそれに応えようと必死だった。

 どのチームも同じだ。
 それぞれが、夏にかける大きな大きな想いを抱えている。三年間という限られた期間であるからこその、一瞬に刻まれる彼らの生き様。

 皆、そうして繋いでいくのだ。

 すべてを注いだ日々の欠片を。


「そういや降谷からあのうるさいヤツに継投したんだって? つーかあいつがレギュラーに選ばれてるのもビックリだけど」
「そうそう! 沢村くんね。今日が夏大初リリーフだったんだけど⋯⋯さすが、鋼のメンタルの男だった」
「気持ちだけはありそうだもんな、気持ちだけは!」
「ふふ。投球もよかったんだよ」
「どんな球投げんの?」
「それは内緒」
「ちぇ、ひっかかんねーか」


 沢村くんの初登板。良くも悪くも何をやらかすかわからない緊張感──交代直後のあわや大暴投となりかけた牽制には、お腹を抱えて笑ってしまった──に、彼のあのキャラクター。青道スタンドからの野次も声援も、すべて彼の懐っこくて真っ直ぐな人柄ゆえだ。


「その後の観たか? 市大と薬師の試合」
「⋯⋯みた。すごいバッターがいるよ。車がみっつで轟くんっていう、めちゃくちゃなスラッガー。あれで一年生だなんてなあ」
「ふうん。まあ、どんな打者だろうと俺には関係ないけど。あとは?」
「轟くん以外もぶんぶん振ってくる。あの市大を打撃戦で押し切るくらい。⋯⋯あと、選手(息子)と監督(父親)がベンチで掴み合ってた、あはっ」
「マジ? めちゃくちゃじゃんそのチーム」


 本当によくわからないチームだった。
 恐らくこれが青道の次の対戦相手になる、薬師高校。昨年監督が替わり、そこから力をつけてきたチームで情報が少ない。次の薬師の試合は、絶対にクリス先輩と偵察に行こう。


「⋯⋯真中さんは?」


 兄が口にした真中さんとは市大のエースであり、そして丹波先輩の幼馴染でもある。その彼に、七回裏、轟くんの打撃が直撃したのだ。真中さんは負傷退場。市大は九回裏で逆転サヨナラタイムリーを打たれ、試合が決まった。


「⋯⋯わかんない。意識をなくしたりしたわけじゃなかったし、頭ではなかったみたいだけど」
「⋯⋯そ」


 野球に限らず、スポーツに怪我はつきものだ。どんなに注意をしても、どんなに準備をしても。不意のアクシデントは避けられない。そんなこと、わかっている。何度も遭遇だってしてきた。

 しかし、今日の試合を観て想像してしまった。大切なひとが、怪我をする場面を。

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