10.最後の夜に、ならないように


 次の日、つまり決勝前日のことである。

 炎々と照る太陽が、青空の色を深める。ぐるっと空を見回すと、思い出したように雲が浮かんでいた。明日も晴れそうだ。

 大舞台前日だけれど、選手たちは皆リラックスしている様子だった。その雰囲気に流されて、暢気に空なんかを見ていた時だ。

 ザッ! ザッ!
 重厚な足音が近づいて来て、見上げていた視線を動かす。そこに突如として現れた姿に、わたしは目を丸くした。


「⋯⋯あ、貴方は⋯⋯!」
「おう、マネージャー。ちょっと手伝ってや」


 ニメートル近い巨体を揺らし、そう声をかけてくる。この訛を含んだ言葉遣い。このおっかない顔。記憶よりもふた周りほど大きくなったこの身体。間違いない。見間違えようがない。

 去年のこのチームの主砲。ドラフト三位でプロ入りした怪物、──東清国だ。

 聞けば、甲子園を懸けた最終決戦に向け、可愛い後輩たちに差し入れを持ってきてくれたのだという。彼の活躍は何度も目にしてきたけれど、こんなに近くで見るのは初めてだ。お、大きい⋯⋯こんなに大きかっただろうか。最早人間ではなく別の生物のようにさえ感じる。


「ん? ワシに何かついとるか?」
「っいいえ、なんにも!」


 強いて言うならお腹にお肉がとてもとてもついています。なんて口が裂けても言えない。

 彼の車から続々と出てくる大量の差し入れを手分けして運び終え、わたしはブルペンへと足を向けた。試合前に調整をすると言っていたから、一也くんが受けているはずだ。

 出来るだけ彼のプレーをみていたい。
 その気持ちは、いつまでたっても変わらない。

 歩いている最中、後ろから先程同様の重厚な足音が聞こえてきて、ぎくりとしながら振り返る。


「おう、新入りマネージャー。お前もブルペン行くんか?」


 たぷんたぷんとお腹のお肉を波打たせながら、東さんが近づいて来ていた。


「ん? 何やお前、どっかで見たことある気ィすんなあ⋯⋯んん? 顔よう見せや」
「き、気のせいじゃないですか」
 

 ち、近い⋯⋯! 顔大きい!

 っていうか怖!

 圧が半端ない。怪物と呼ばれる打者としての力量は、勿論知っている。しかし、現青道の天然怪物打者である結城先輩とはまた違った圧がある。どちらかというと、この人には物理的に殺られる! みたいな生き物としての圧だ。

 気づけばずりずりと後退っている自分がいた。構わず近づいてくる彼。終にはその圧に耐えきれなくなり、わたしは身を翻して走り出した。

 速やかな救援を求ム。

 この人と一対一なんて、普通の人間には無理です。
 
 
「なっ、人の顔じーっと見た後に何で逃げるんや?! 失礼やないかい!」
「先にじーっと見てきたの、東さんです〜〜〜!」


 逃げられると追いたくなるし、追われると逃げたくなる。お互い謎の本能に突き動かされ、全く理解不能だけれどブルペンまで二人で全力疾走してしまった。

 こんなに走ったのはあの日以来だ。
 黒士館との練習試合で、クリス先輩が出場した日。それを一也くんに知らせるために走った。

 いつもそうだ。
 走る先には必ず、一也くんがいる。


 ようやくブルペンが見えてくる。

 よかった。一也くんもクリス先輩もいる。なんて頼もしいメンバーだろう。ちょうど投球もしていなくて、沢村くんを交えて何やら話している。

 これでもう大丈夫だ──そもそも何が大丈夫じゃなかったのかすらわからないけれど──と、心の底から安堵して駆け込む。
 

「お、お助け〜〜〜!」
「何やその台詞! ワシがお前に何かしたみたいやないかい!」
「ひい! 怒鳴られるの怖いです!」


 一度怖いと思ってしまうと、何を言われても恐怖を感じてしまう。本能です、本能。そのまま一也くんたちの影に回り込む。


「東先輩⋯⋯何後輩虐めてんすか?」
「違わい! コイツが勝手に逃げよるからや! つーか御幸、お前は相変わらず堂々とした態度やなあ!」
「ははっ、どうも」
「褒めとらん!」


 舌打ちをして視線を逸らした東さんが、今度は別のターゲットを捉えた。

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