その後も何球かをお腹で受け止めた東さんは、ブツブツと文句を言いながら打席を離れた。そのままそれぞれにエールを送り、グラウンドを去っていく。
東さんのいた頃に叶わなかった夢。
──甲子園。
あと一勝だ。あと一勝で、その舞台に届く。すべては明日。泣いても笑っても、明日、その結末を迎える。
「名前? どうした?」
「⋯⋯わかんない、なんか震えてきちゃった。武者震い?」
指先をぎゅううと握る。
先刻、彼の後ろに立ったときの震えとは違う。怖さと。期待と。入り乱れる。それが自分でもわかる。
野球を怖いと思うのは、──初めてだ。
「⋯⋯そんなに強く握んな。痛くすんだろ」
彼の手が、握ったわたしの拳を持ち上げた。彼の胸の前で丁寧に解かれる。
「大丈夫だ。俺たちはやるべきことはやってきた。それを出し切るだけだ。⋯⋯信じてんだろ?」
彼が不敵に笑む。
「⋯⋯うん」
あの日、夕陽のなかで。信じているかと問われたことを思い出す。
信じている。
それだけは胸を張って言える。どんなチームが相手だろうと、わたしの想う彼の野球が揺らぐことは決してない。
「ふふ、すごい。震え止まった。ありがとう」
「よし」
離れそうになった彼の右手を、今度はわたしの両の手で包む。大きな手だ。両手でも包みきれない。
彼の手にこつんと額をあて、そっと目を閉じる。
どうか、怪我をしませんように。どうか、彼が、皆が、これまでのすべてを出し切れますように。
そう祈ってから、目を開ける。
少し驚いた様子の彼と目が合う。途端に我に返り、恥ずかしくなって慌てて手を離す。
「名前⋯⋯」
「込めといた! わたしの気合い!」
「⋯⋯ありがとな。ちゃんとグラウンドに持ってく」
彼は右手で軽く拳を作り、トン、と自身の心臓のあたりを叩いた。「そんじゃ、行ってくる」と試合前最後のノックへ走っていく。
この光景をずっとみていたい。このメンバーでまた、笑ってこの場所に戻ってきたい。
ノックを終え整列した選手たちの表情は非常に良い。頼もしい背中が並ぶ壮観なグラウンドを、しっかりと焼き付けた。