10.最後の夜に、ならないように



 練習後のミーティングの後、名前はクリス先輩と金丸と一緒に稲実のビデオをチェックしていた。

 今、どんな気持ちなんだろうな。

 そんなことを考える。
 自分のチームと、幼少期からその姿を追ってきた兄のチームとが甲子園を懸けて戦うのだ。どちらも並々ならぬ努力を重ねてきた。積み上げた日々の重みは、恐らく寸分も違わない。しかし勝者はひとチームのみ。どちらかが必ず負ける。

 どちらに勝利の女神が微笑んだとて、こいつは、その瞳を翳らせてしまうだろう。敵だからとか。味方だからとか。そんな単純な枠では語れない想いだ。

 それならせめて、俺が翳らせることはしたくねえなと思う。


 先程、名前に包まれた右手。こつんと触れた額。祈るように伏せられた睫毛。

 痛いくらいに想いが流れてきて、抱き締めそうになるのを必死に堪えた。

 ──持っていく。
 こいつの気持ちは、俺が、あの場所に持っていく。
 
 もう一度誓い、右手を握る。





 部屋に戻ると、夏直前合宿の光景再来、何故か部員が溜まっていた。本当に何故なのか。何故俺の部屋が溜まり場になるのか。誰か教えてくれ。

 例の如く、純さんが沢村と降谷を自販機までパシらせる。その隙に倉持が沢村の携帯を勝手に開き始めた。若菜とかいう子のことが相当気になるんだろう。


「おいおい、いーのかよ? 勝手に」
「ヒャハハ! いーんだよ!」
「後輩の言動チェックして何が悪い!」
「純さん、すごい言い分っすね⋯⋯」


 哲さんや増子さんまで覗き込んでいる。別に興味はないけれど、なんとなくつられて腰を浮かせる。その時だ。倉持の鋭い視線が飛んできた。


「お前は駄目だ!」
「はあ?」
「女がいるやつは引っ込んでろ!」
「⋯⋯女って、そんなんいねえけど」


 その瞬間、部屋の空気が一瞬で凍りついた。俺に向けられる皆の視線の怖いこと怖いこと。

 思わずたじろぎ「な、何すか」と問う。


「ハァ〜〜〜聞きました? 今の」
「ケッ! ほんとムカつくヤローだぜお前ェはよ」
「御幸⋯⋯弄ぶもんじゃないぞ」
「うが」


 一体なんだというのだ、この人達は。
 人間関係の機微に敏感な倉持あたりにバレるのは、まあ百歩譲って諦めるとして。何故先輩たちまで、俺の気持ちを知っているかのような口振りをするのだろう。


「何そんな顔してんだよ。お前の気持ちに気づいてないの、多分名前ちゃんと沢村と降谷くらいだぞ、ヒャハハ!」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 俺は今、多分、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていることだろう。


「お前にもこんな弱点があったんだな」
「哲さん⋯⋯勘弁してください」
 

 こういう話題は苦手だ。そうでなくてもあまり自分の気持ちは出したくないし、特に名前のことには触れてほしくない。

 誰にも、──触れてほしくない。


「で? どうすんだ?」
 純さんが沢村の携帯を覗いたまま問うてくる。

「何がですか?」
「まさか苗字のこと、このまま放っとくとか言わねえよな?」
「いやあ〜〜〜何のことですかね、はは」
「あんだと?! すっとぼけやがってコンニャロォ!!」
「イテテ、痛いっす純さん!」


 純さんの腕が首に回る。その時、カチャッとドアが開いた。沢村と降谷がジュースを抱えて戻ってきたのだ。

 倉持の手に自分の携帯があることに気づいた沢村が、すかさず反論に出る。やんややんやとすったもんだを繰り広げている最中にゾノたちまでやって来て、俺の部屋はこれ以上ないほど賑やかになってしまった。

 しかしおかげで純さんから解放された俺は、一歩引いたところから皆の様子を見る。なんだかんだこんな時間も嫌いじゃない。こんな先輩たちだけれど、本当に尊敬している。

 しかし、しかしだ。


「あの〜〜〜皆さん⋯⋯そろそろ自分の部屋に戻ってくれません?」





 ◇最後の夜に、ならないように◆

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