11.あふれる


 八回表、降谷くんがライト前ヒットで出塁し、ようやく反撃の糸口を掴む。続くバント職人サワムーラが絶妙な送りバントを決め、白州先輩のヒットで走者一・三塁。もっちー先輩が執念でスリーバントスクイズを仕掛け、一点を返す。

 ようやく、一点だ。


「もっちーせんぱ〜〜〜〜〜い!ナイスバント! 降谷くんもナイスラン!!!」


 ここで、足を痛めていた小湊先輩に代打が出る。兄から弟へ。バトンのような、託すような。そんな代打だ。


「小湊くん!! いけ〜〜〜〜! 小湊先輩のかたき!(?)」


 もう大声を出すことくらいしかできないわたしは、なりふり構わず叫んでいた。

 驚異の今大会打率十割。
 青道のラッキーボーイ。

 小湊くんのレフト前ヒットに続き、伊佐敷先輩が四球を選ぶ。終盤での二死満塁の、最後のチャンス。この場面で、何の因果か、巡り合わせか。

 打順が──結城先輩に回る。

 不動の四番への皆の期待が、スタンドをビシビシと駆ける。それに応えるように、結城先輩はワンボールツーストライクからしつこくファールで粘る。


「あっ」
 思わずガタッと立ち上がる。

「苗字さん? ⋯⋯ていうかこのやり取り、物凄くデジャヴなんだけど」
「同じ反応しか出来なくてごめんなさい! それよりも、次、やばい気がします⋯⋯絶対来ます、チェンジアップ」


 もう投げないかも、なんて言っておきながらごめんなさい。

 何故そう思うのかと聞かれてもわからない。強いて言うなら雰囲気だ。兄が放つ雰囲気が、次はチェンジアップを投げると告げている。それを根拠を示しながら言葉にすることが出来ない。


「これ、ウチの打線、たぶんチェンジアップ捨ててますよね⋯⋯?」


 この状況下で投げられると、まさに一貫の終わりだ。

 しかしこのチャンスを逃してしまえば、得点の機会はもうないかもしれない。何としてもここで、せめて同点にしなければ。

 結城先輩! チェンジアップきます⋯⋯!
 無我夢中で念を送る。

 兄の左腕が振り下ろされる。来た⋯⋯チェンジアップだ。スクリュー気味に沈む兄独特の軌道。その行く末を、祈る心地で見つめる。

 体勢を崩したま振られた結城先輩のバットが──カキン、と音を放つ。遂にチェンジアップを捉えた。


 ──⋯ワアァァアァアア!!!!


 音にならない音が、球場を包む。空気の振動が凄まじい。スタンドが壊れるんじゃないかというほど沸き起こった。


「きゃあああ! 名前ちゃん!」
「むぐぐぐ〜〜〜!」


 わたしが歓声を上げるより早く、興奮した春乃ちゃんに抱き締められ、胸に顔面を押し付ける形になってしまった。柔らかい⋯⋯って、違う、そうじゃない。

 なんとか彼女の腕から抜け出し、グラウンドをみる。白州先輩と小湊くんがホームに帰ってくる。

 逆転だ⋯⋯!


「⋯⋯っ、ゆ、ゆう、先ぱ!!!!」


 ばくばくと響く心臓がうるさくて、上手く喋れない。なんてひとだ。あのタイミングでの、決して浮いたわけではない兄のチェンジアップを右中間まで。

 これが、主将。

 これが主将か。

 すごい。本当に、なんてひとだ。

 ここではたと、緊張が切れかけていたことに気づき気を引き締める。逆転したと言っても、点差はたったの一点。最後の最後まで何が起こるかわからない。

 その後の追加点を逃し、青道一点リードのまま九回裏、最終イニングを迎える。

 ここを守りきれば、あの舞台に手が届く。
 沢村くんの気迫のピッチングで、あとアウトひとつというところまで追い込んだ。

 あとひとり。
 あとアウトひとつ。

 誰しもの心に、過ぎったことだろう。


 しかし、──それは突然に訪れた。

 強気にインコースを攻め続けていた沢村くんの球が、白河くんのヘルメットに直撃してしまったのだ。

 この場面での、強気の攻め。その結果の死球だ。誰も彼を責めたりなどできない。

 しかし、当たった場所が悪過ぎた。

 頭部への死球に騒然とする球場。茫然自失とした沢村くん。その彼の様子を見た一也くんは、これ以上の登板は無理だと判断したようだ。川上先輩へ交代となる。

 酷い顔でマウンドを下りた沢村くんに、懸命に声を掛ける。


「沢村くん! ナイスピッチ!!!! 沢村くん!」
 

 届いていないかもしれない。わたしたちの声は、沢村くんに、届いていないのかもしれない。

 それでも皆は、声を掛け続けた。

 川上先輩も必死の投球をしたけれど、二死一・二塁で四番の雅さんへと打席が回ってしまい、一点を返され同点にされる。

 あとアウトひとつの場面から、同点⋯⋯

 消沈しそうになった青道ベンチから、監督の檄が飛ぶ。同点にされただけだ。負けたわけじゃない。この回を凌いで、延長に繋げ。

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