八回表、降谷くんがライト前ヒットで出塁し、ようやく反撃の糸口を掴む。続くバント職人サワムーラが絶妙な送りバントを決め、白州先輩のヒットで走者一・三塁。もっちー先輩が執念でスリーバントスクイズを仕掛け、一点を返す。
ようやく、一点だ。
「もっちーせんぱ〜〜〜〜〜い!ナイスバント! 降谷くんもナイスラン!!!」
ここで、足を痛めていた小湊先輩に代打が出る。兄から弟へ。バトンのような、託すような。そんな代打だ。
「小湊くん!! いけ〜〜〜〜! 小湊先輩のかたき!(?)」
もう大声を出すことくらいしかできないわたしは、なりふり構わず叫んでいた。
驚異の今大会打率十割。
青道のラッキーボーイ。
小湊くんのレフト前ヒットに続き、伊佐敷先輩が四球を選ぶ。終盤での二死満塁の、最後のチャンス。この場面で、何の因果か、巡り合わせか。
打順が──結城先輩に回る。
不動の四番への皆の期待が、スタンドをビシビシと駆ける。それに応えるように、結城先輩はワンボールツーストライクからしつこくファールで粘る。
「あっ」
思わずガタッと立ち上がる。
「苗字さん? ⋯⋯ていうかこのやり取り、物凄くデジャヴなんだけど」
「同じ反応しか出来なくてごめんなさい! それよりも、次、やばい気がします⋯⋯絶対来ます、チェンジアップ」
もう投げないかも、なんて言っておきながらごめんなさい。
何故そう思うのかと聞かれてもわからない。強いて言うなら雰囲気だ。兄が放つ雰囲気が、次はチェンジアップを投げると告げている。それを根拠を示しながら言葉にすることが出来ない。
「これ、ウチの打線、たぶんチェンジアップ捨ててますよね⋯⋯?」
この状況下で投げられると、まさに一貫の終わりだ。
しかしこのチャンスを逃してしまえば、得点の機会はもうないかもしれない。何としてもここで、せめて同点にしなければ。
結城先輩! チェンジアップきます⋯⋯!
無我夢中で念を送る。
兄の左腕が振り下ろされる。来た⋯⋯チェンジアップだ。スクリュー気味に沈む兄独特の軌道。その行く末を、祈る心地で見つめる。
体勢を崩したま振られた結城先輩のバットが──カキン、と音を放つ。遂にチェンジアップを捉えた。
──⋯ワアァァアァアア!!!!
音にならない音が、球場を包む。空気の振動が凄まじい。スタンドが壊れるんじゃないかというほど沸き起こった。
「きゃあああ! 名前ちゃん!」
「むぐぐぐ〜〜〜!」
わたしが歓声を上げるより早く、興奮した春乃ちゃんに抱き締められ、胸に顔面を押し付ける形になってしまった。柔らかい⋯⋯って、違う、そうじゃない。
なんとか彼女の腕から抜け出し、グラウンドをみる。白州先輩と小湊くんがホームに帰ってくる。
逆転だ⋯⋯!
「⋯⋯っ、ゆ、ゆう、先ぱ!!!!」
ばくばくと響く心臓がうるさくて、上手く喋れない。なんてひとだ。あのタイミングでの、決して浮いたわけではない兄のチェンジアップを右中間まで。
これが、主将。
これが主将か。
すごい。本当に、なんてひとだ。
ここではたと、緊張が切れかけていたことに気づき気を引き締める。逆転したと言っても、点差はたったの一点。最後の最後まで何が起こるかわからない。
その後の追加点を逃し、青道一点リードのまま九回裏、最終イニングを迎える。
ここを守りきれば、あの舞台に手が届く。
沢村くんの気迫のピッチングで、あとアウトひとつというところまで追い込んだ。
あとひとり。
あとアウトひとつ。
誰しもの心に、過ぎったことだろう。
しかし、──それは突然に訪れた。
強気にインコースを攻め続けていた沢村くんの球が、白河くんのヘルメットに直撃してしまったのだ。
この場面での、強気の攻め。その結果の死球だ。誰も彼を責めたりなどできない。
しかし、当たった場所が悪過ぎた。
頭部への死球に騒然とする球場。茫然自失とした沢村くん。その彼の様子を見た一也くんは、これ以上の登板は無理だと判断したようだ。川上先輩へ交代となる。
酷い顔でマウンドを下りた沢村くんに、懸命に声を掛ける。
「沢村くん! ナイスピッチ!!!! 沢村くん!」
届いていないかもしれない。わたしたちの声は、沢村くんに、届いていないのかもしれない。
それでも皆は、声を掛け続けた。
川上先輩も必死の投球をしたけれど、二死一・二塁で四番の雅さんへと打席が回ってしまい、一点を返され同点にされる。
あとアウトひとつの場面から、同点⋯⋯
消沈しそうになった青道ベンチから、監督の檄が飛ぶ。同点にされただけだ。負けたわけじゃない。この回を凌いで、延長に繋げ。