リィンと虫の鳴く音がする。一層際立つ静寂が、夜の深まりを告げていた。
「そろそろ帰るか?」
「もうちょっと一緒にいたいけど⋯⋯でも、そうだね」
「駅まで送る。遅くなっちまったし」
「ううん、試合のあとだし⋯⋯どうせ明日にでもビデオとか観るんでしょ。早く寝て休んで」
この敗戦を乗り越えて、前を向かなければならない。わたしはもう少し時間がかかりそうだけれど、彼は違う。既に先を見据えている。
その強さを支えたい。間違いなく新チームの主軸になるであろう彼を、彼の野球を、支えたい。
「ああ、そりゃ観るけど⋯⋯送るよ。つーか今日くらい送らせて。こんな機会も滅多にないんだし」
「⋯⋯ありがとう」
彼の顔がそっと近づいてきて、鼻の頭がツンと合わさる。視線だけで見上げると、熱っぽくやわらかな瞳がそこにあった。顎に指先が添えられて、く、と角度が僅かにずらされる。「目ェ閉じて」と囁かれ、ぎゅうと心臓が切なく締め付けられる。
唇が、──そっと重なった。
やわらかな彼の唇は数秒そこで留まり、名残惜しそうに離れた。そっと目を開ける。目を合わせられなくて、彼の腕のなかで俯いた。
「は、恥ずかしい⋯⋯」
「だからそんな赤くなんなって⋯⋯マジで」
触れるだけのキス。
なのにこんなに、こんなに。こんなに破壊力があるのか。
──覚悟しとけよ。
彼はそう言ったけれど、果たしてわたしは耐えることができるのだろうか。彼が兄の憤慨を浴びるより先に、わたしのほうがどうにかなってしまうかもしれない。
真っ赤な真っ赤なわたしたちを。
月だけが、静かに見ていた。
◆あふれる◇