12.Restart


「わーったよ、お前には早目に話すから詮索すんな」

 
 どうせ倉持にはいずれ気づかれる。それならば、拗れる前に伝えてしまおう。そう思い、含みを持たせた視線を送る。

 倉持はこれにピーンと来たようだった。「お前、まさか⋯⋯!」とハッとした表情を見せる。


「マジかよ、ヒャハハ! 楽しみにしてんぞ!」
「痛ッ!」


 びたん! と背を叩かれる。倉持はそれ以上の追及はせず、荷物を置きに行った。あたふたと見送っている名前に本題を告げる。


「倉持には俺が上手いこと言っとく。で、礼ちゃんがさ、お前のこと投球練習に貸してくれるって」
「へ?」
「ブルペンであいつらの球見てやってくんねえ? フォームとかコースとか、あいつらまだ自分じゃ全然気づけねえし。クリス先輩もいなくなっちまったしさ」
「え⋯⋯」


 その一瞬、名前の瞳に影が差す。その表情に、いつかの不安が惹起される。

 ──こいつは俺たちに、何も言えなくなるかもしれない。

 あの日、俺はそんな不安を確かに抱いた。

 夏が始まる前に、俺の部屋で。心無い一言に傷ついた名前に、俺は何もしてやれなかった。足首を冷やしてやること以外、何も。

 その時のツケが今頃に現れる。


「⋯⋯ごめん、わたし、出来ない」


 その声は微かに震えていた。
 根付いてしまった恐怖は、そう簡単には消えない。思えばあの日以来、名前が偵察や分析を行うことは多々あれど、選手に対して何かを口にすることは一度だってなかった。


「何で?」
「分はわきまえなきゃいけないって、前に教えてもらったから」


 あの時以降、名前は例の部員と一度も接触していないように思う。恐らく互いが避けているのだろう。あいつも根は悪いやつじゃない。名前への言葉を後悔しているはずだ。しかし自ら折れて歩み寄ることはできず、避け続けるに至っているのだろう。名前は名前で、あんなふうに言われた相手に自ら声を掛けるなど出来るはずもなく。

 そうしてこの現状が生まれている。


「弁えるって⋯⋯ウチのピッチャーには、お前のアドバイスに逆上したりするようなやつはいねえよ」
「それは、わかってるんだけど⋯⋯っでも、」


 ぎゅっと握られた拳が、名前の葛藤を如実に語っていた。

 力になりたい。その一心で言葉を紡いだ。しかしそれを強い言葉で拒絶され、傲慢だと詰られ、身の程を知れと突き放された。


「⋯⋯ごめんね。ちょっと、怖くて」


 最後はほとんど消えそうな声量だった。

 根付いた傷の深さを知る。

 もし今回のことがなかったとしても、だ。
 名前が誰かとともに野球と在る限り。いずれは何らかの形で顕になった問題なのかもしれない。いずれは向き合わなければならなかったのかもしれない。

 何より、俺が。
 名前の力を欲している。

 荒療治になってしまうが、抽象的な精神論よりも実体験を伴う自信の積み重ねの方が良いだろうか。それには、あのバカみたいなやつの勢いも必要か⋯⋯と考えていた時だ。


「はよーっす! なんか今チラッと聞こえたけど、苗字、クリス先輩の仕事引き継ぐのか?!」


 何々と書いてバカと読む。の代表格である沢村がやって来た。


「えっ、ううん」
「そーかそーか! さすがは妹弟子! あっ、ちなみに俺が兄弟子な!」
「わたし今、ううんって返事したんだけど⋯⋯」
「はははは! 聞こえなーい! よおし早速行くぞ! ブルペン!」


 がしっと沢村の手が名前の手首を掴んだ。んフー! と鼻息を鳴らしながら名前を引っ張っていく。

 沢村お前、名前を巻き込んでくれるのは助かるけど⋯⋯その手を離せ、その手を。


「待って、まだ練習すら始まってないのに! 沢村くん、ねえ⋯⋯っもう、全然聞いてくれない! か、一也くん〜〜〜! 見てないで止めて〜〜〜!」


 助けを求めながらずりずりと引き摺られていく名前。構わず突き進む沢村。その光景に、自分の心を蝕んだもやもやとした感情。以前とは比べ物にならない強さのそれに気づき、内心でマジかよ、とごちる。

 自分がこんなに独占欲が強かったとは。

 前言撤回だ。
 表立たせたくない、などと悠長なことは言っていられない。そんな気分になってきた。

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