一也くんのキャプテン就任挨拶は、それはそれはぎこちないものだった。アップ開始の号令なども甚くぎこちなく、慣れない役割に苦戦する彼を見守っていたわたしは既にお腹いっぱいだ。
お腹いっぱいだというのに。
「よーし行くぞ!」
エゴイスティック少年とは彼のこと。沢村くんに再度、ずるずると引き摺られる。目的地はもちろんブルペンだ。こちらの事情などどこ吹く風。まるでお構いなしだ。すごい子だ。色々通り越して感心してしまう。
「わかった、歩く! 歩きます! だから引っ張らないで、踵擦り減っちゃう!」
「やなこった! 何があったか知らんが、なんかお前、逃げそうだから!」
言い当てられ、んぐ、と言葉を詰まらせる。口調とは裏腹な真剣な瞳が振り返った。
「俺⋯⋯絶対にエースになりてえんだ。あんなピッチングは二度としたくねえ。力貸してくれ」
「沢村くん⋯⋯」
決勝戦。白河くんへのデッドボール。それ以降マウンドに立ち続けることが出来なかった彼の、──強さへの渇望。
想いの強さに吸い込まれるように、その瞳を見つめ返す。
「はいはい、お二人さん。双方に言い分はあるだろうけど、そろそろその手を離そーか」
わたしの手首をがっちりと握っていた沢村くんの腕を、一也くんが掴んだ。それとなく引き剥がされる。
前にもあったな、こんなこと。記憶が蘇る。あの時は沢村くんではなくて、降谷くんだった。マニキュアを塗ってあげた時だ。
「俺はノリの球受けるから、お前は小野とな」
「うす! 苗字頼む! 気づいたことあったら何でも言ってくれ、些細なことでもいい」
「⋯⋯取り敢えず、今日だけ」
「な、何でだよ、そんなに嫌か?! 俺のこと!」
「もうそういうことでいいや」
「それはそれでガーン!」
一也くんはいつも沢村くんや降谷くんのことを「面倒くせえやつら」と言うけれど。今だけはそれが少しわかる。
め、面倒くさい⋯⋯!
しかし、彼のこの真っ直ぐ過ぎる心に触れていると、自分の悩みがちっぽけに感じられてしまうのもまた、紛うことなき事実だ。
皆、前を向くために。あの試合を越えるために、必死だ。わたしもいつまでも拗らせているわけにはいかない。どちらかに踏ん切りをつけ、顔を上げなければ。
この日は取り敢えず、沢村くんの投球だけをみた。どう言葉を選び、どう伝えれば、齟齬がなく感情の相違もなく伝わるのか。酷く神経を使ったがしかし、何物にも代え難い充実感を得たことも認めざるを得ない。
「サンキューな、苗字! たまにちょっと何言ってんのかわかんない時はあるけど、めちゃくちゃ参考になった! 御幸先輩の一億倍優しいし⋯⋯明日も頼む!」
「何言ってるのかわかんないことあった? っていうか、う、腕! もげる!」
何の印なのか握手するように両手を握られ、上下にぶんぶん振り回された。選挙活動ですらこんな握手はお目にかかれないだろう。
練習が終わり、バットを片付けに用具室に入る。
──明日も、か。
もう一度、頑張ってみようか。応えられる自分でありたい。逃げたくない。
そう思った矢先のことだった。背後でガチャ、と音がして振り返る。
「あ、一也くん。残りのバット持ってきてくれたの? ありがとう」
「⋯⋯ああ」
あと二往復は覚悟していたけれど、彼のおかげですぐに他の仕事に回れそうだ。
全てのバットを片し終え、グラウンドへ戻ろうとドアノブに手をかけた時だ。背後から彼の手が伸びてきて、トン、とドアを押さえられる。背中に彼の身体があたる。
「⋯⋯一也くん?」
ただならぬ気配を察知し、恐る恐る顔だけで振り返る。その表情を見て、刹那。これはまずい、と理解した。
おずおずと訊ねる。
「お、怒ってる⋯⋯?」
何事かをしでかしてしまったに違いない。今日という日を猛スピードで振り返ってみるけれど、これといって思い当たる節がない。
スポサンの奥の双眸には、初めて見る色が浮かんでいる。静かな静かな闘志のような、怒りのような。
反応に倦ねていると、暫しの沈黙ののち、彼は結んでいた唇を開いた。
「⋯⋯お前は俺に嫉妬させてーの?」
「⋯⋯え?」
指先で押さえていただけだったドアに、気づけば彼は両手を付いていた。ドアと彼に挟まれ身動きが出来ない。
「⋯⋯他の男に簡単に触らせたりすんなよ」
「⋯⋯っ」
肩を軽く押され、彼に身体ごと向き直る形にされる。その近さと密着度に、息を呑む。片腕を肘までドアにつけ、半ば覆い被さるような形で彼に見下ろされる。