「ガード緩すぎんの。⋯⋯ちゃんと自覚しろよな」
「ん⋯⋯っ」
唇を塞がれる。まだ慣れぬ感触に、ぞくぞくとした感覚が背筋を走る。彼の唇にわたしの唇が食まれていく。合間の軽いリップ音。用具室の静寂を渡る。
「⋯⋯ふ、」
漏れたのは、咽頭に留まらなかった身の内からの嬌息だった。身体の熱が高まっていく。
こんなの、知らない。
こんな熱さは知らない。
「んん⋯⋯っ」
口づけが深くなる。後頭部を支えるように回された彼の手のひらが、髪をかき抱くように動いた。
ぎゅう、と。
心臓を掴まれたような感覚に陥る。苦しいのに辛くない。苦しいのに甘い。苦しくて切ない。そんな掴まれ方だ。堪らなくなって、彼のユニフォームの胸元を強く握る。ぴく、と彼の身体が反応して、一度唇が離れた。
彼から短く吐息が落ちる。
落ちた息を辿るように視線を上げると、用具室の小窓から差す夕陽が、彼の横顔を染めていた。髪の輪郭が微かに透け、柔らかな光が周囲を覆う。
夕陽はあの日を彷彿とさせる。
階段の上の。夏のはじまり。
ぺろ、と彼の舌が覗き、そのまま自身の唇を舐めた。好戦的かつ扇情的な眼差しがわたしを射抜く。
「⋯⋯名前、口開けて」
「くち、⋯⋯ん、んん!」
問い終わるより早く、彼の舌に唇を擽られる。半端に開いていた唇の隙間から、そのまま中に入ってくる。
酷くやわらかで艶めかしい感触。目眩すら覚え、きつく瞼を閉じる。何度も角度を変えながら繰り返される口づけに、思考が蕩けていく。
キス、って。
こんなに気持ちのいいものなのか。
こんなに幸せで、こんなに甘く苦しいのか。
必死に彼を受け止め、どのくらい経った頃だろう。漸く唇が開放された頃には、息はすっかり上がり視界は滲んでいた。
「はあっ、⋯⋯⋯っ」
「⋯⋯っやべえな、」
わたしの首元に顔を埋めた彼から、深い深い溜め息が落ちる。胸が苦しくて、くるしくて、──愛おしくて。
「⋯⋯少しは俺の気持ちわかったか? もうちょい気をつけろ」
そう耳元で囁かれ、わたしはこくんと頷いた。
想いを伝え、応えてもらえて。この上なく満たされていると思っていた。この上なく幸せだと、心の底から思っていた。その上限をいとも容易く突破されてしまった。
そうか。こういう気持ちに果てはないのだなあ、と。ぼんやり理解する。
首筋に擦り寄るように頬を寄せていると、ややあってから彼が口を開いた。
「どうだ? 楽しかっただろ、沢村の球見てんの」
「うん」
「これからも見たいなって思っちまっただろ?」
「ふふ、うん」
「な。お前はどーやったってそういう趣味(?)なんだから。⋯⋯何があったかは、お前が話したくなるまで聞かねえよ。けど、怖くたって、逃げたくなったって、結局は戻って来ちまうんだ。それなら、一緒に進んでこうぜ」
「⋯⋯うん」
一也くんの真っ直ぐな物言いは、時に誰かを抉ったりもするけれど、そのぶん真ん中に突き刺さる。
あたたかいな。そう思う。
「よし。あんま戻ってこねえと皆に怪しまれるからな、そろそろ行かねえと⋯⋯その顔なんとかなんねえ?」
「かお?」
「んな顔で出てったら、何してたかバレんぞ」
「⋯⋯っ、知らない、もとからこんな顔です」
両手で頬を覆う。熱い。どれだけ赤くなっているか、容易に想像がつく。すとんとしゃがみ込み、膝に顔を埋める。
「⋯⋯⋯⋯先行ってて」
「ははっ、適当に上手いこと言っとくからさ、落ち着いたら来いよ」
「ん」
ガチャ、と軽い音を立てドアが開く。出ていく彼の後ろ姿を、チラ、と窺い見る。
「反則だよ⋯⋯格好よすぎる」
誰もいなくなった用具室で、ぼそっと零した。