12.Restart



「というわけで、お兄ちゃん。わたしは東京に残ってテレビで応援するね」
『! ⋯⋯! ⋯⋯!』
「こ、声にならない怒りが⋯⋯!」


 電話の向こうからビシビシと伝わってくる。い、痛い⋯⋯あちこちにぴこぴこぶつかっては、小さな痛みを残していく。耐えられず、ごめんね、と付け加えた。

 その直後だ。突然、ゴトトトン! と大きな音がした。何事かと思った瞬間、『あッ、鳴! 投げんな!』と遠くから音が入って、兄が携帯を投げ飛ばしたのだと理解する。

 兄、成宮鳴。
 只今ご乱心です。


『ったく壊れたんじゃねえの⋯⋯もしもーし、聞こえるか?』
「あら、この声はカルくん」
『ああ、壊れてねえな、よかった。⋯⋯アイツもさ、わかってんだ。名前ちゃんがしっかり青道の一員なんだってこと。ただちょっとアレなだけで』
「うん⋯⋯ごめんね。でもほんとうに、皆のこと応援してるの。これは、ほんとう」
『わかってる。大丈夫だ、半分怒ってるフリみたいなもんだから』


 誰がフリだってー?!

 と兄の声が聞こえてきて、なんだ、ちゃっかり聞き耳立ててるんじゃん、と笑ってしまった。


『こんなこと言ってっけど、さっきなんてホテルに詰めかけたファンにほくほくしてたぜ』
「ふふ、なんと言っても「都のプリンス」だからね」
『メディアもたいした文句考えるよな。まあ当人は満更じゃねえけど。見せてやりたいぜ、ちやほやされてる時の鳴の腹立つ顔』
「あははっ」


 都のプリンス。鳴ちゃんフィーバー。

 兄が白星を挙げるたび、テレビや新聞で取り上げられることが増えた。兄の顔はすっかり全国区だ。わたしときたらとんでもない兄を持ってしまった。鼻が高い。

 明日は最高の試合見せてやるって名前に言って! せいぜいテレビの前で、甲子園来なかったこと後悔しながら見てなよって!

 これまた兄の声が遠くから聞こえる。


『ああ? 自分で言えよ、ほら』


 恐らくカルくんが兄に携帯を差し出したのだろう。『カルロが言って! 俺は拗ねてんの!』と、先程より近くなった兄の声が聞こえる。


『⋯⋯だそうだ。聞こえたか?』
「全部聞こえてまーす。⋯⋯お兄ちゃん、わたしの気持ち持ってってくれたんでしょ? ⋯⋯ちゃんと、近くにいるから」


 あの日、神宮球場で。引き寄せられた兄の肩口に預けた想い。兄はそれを最高の舞台まで連れて行ってくれた。

 わたしの気持ちは、ちゃんと。
 お兄ちゃんのところにあるよ。


『だってよ、ほら、鳴。意地張ってないでちゃんと話してやれ』


 やだね! 俺もう寝るし!

 本当に寝るつもりなのか、離れていく兄の声と。カルくんの呆れたような溜め息が混ざる。


「カルくん⋯⋯なんかごめん、板挟みにしちゃって」
『いや、俺は別に。コイツもいつまで経っても妹離れできねえな。名前ちゃんに彼氏なんて出来た日にはどーなっちまうのかね』
「あは、はは、ねえ」


 しどろもどろな返事しか出来なかった自分を呪った。電話だし気づかれませんように、と願ったのも束の間。顰められた怪訝な声がした。

 
『? 何? ⋯⋯え、まさか、か?』
「あ、はは、まさか、です」


 返事をしながら、そういえばこの関係を記すことばを確かめ合ったことはなかったなと今更ながら思う。

 彼氏。彼女。恋人。

 なんだか未だにしっくりこない。
 出逢った日から一也くんは一也くんであって、奇跡のように想いが通じて、隣にいてくれて。わたしの目に、これまでと変わらぬ彼が映る。

 わたしにとってはそれがすべてなのだ。

 他人にこの想いを伝える端的なことばを、わたしは知らない。彼はどう思っているのだろう。明日にでも聞いてみようか。


『マジかよ、こりゃひと悶着起きるぞ⋯⋯』
「甲子園終わるまでは内緒にしててね、お願い!」
『そりゃもちろんそうすっけど⋯⋯御幸か?』
「⋯⋯カルくんまでご存知で」


 もう驚くまい。自分の気持ちがどれだけダダ漏れであるのかは、青道の皆に嫌というほど教えてもらった。


『よかったな。ずっと前からだったんだろ』
「ふふ、うん」


 面映い。顔を見られているわけではないのに、目線が自然と下がってしまう。照れくささを隠すように、ありがとう、と口にした。


『名前ちゃん、御幸に命三つくらい用意しといたほうがいいぞって言っとけ。鳴がどんな反応するかマジで想像できねえ』
「⋯⋯ひい」
『それにしても御幸のやつ、幸せ者だな。試合に負けて勝負に勝つってやつ?』
「あはっ、勝負って。お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん、勝負でもなんでもないよ?」
『いけね、たまに鳴のこと、名前ちゃんの彼氏みたいに見えちまうんだよな。それか親父』
「ふふ、実はわたしも。ちゃぶ台とかひっくり返されそうだもん」
『ははっ、だろ?』


 笑いあったのち、しばし他愛もない会話──カルくんの好みのタイプとか、ホテルのご飯が美味しいとか──をし、「それじゃあ明日⋯⋯頑張ってね。ありがとう」『ああ』と会話を締め括る。

 ──明日、か。

 兄が日本一に届くまで、文字通りあと一歩だ。ここまで来たら絶対に獲ってきてほしい。日本でたったひとチームしか手にし得ない景色を、見てきてほしい。

 風のすさぶマウンド。
 雄々と立つ兄の背中。

 祈るように。胸の前でぎゅっと拳を握った。





 ◇Restart◆

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