13.砕けた星屑、爪痕の花


 甲子園が終わったというのに変わらない、いやむしろ多いくらいのギャラリーの中を、クーラーボックスを抱えて歩く。


「おっ、名前ちゃん、おはよ。昨日は残念だったなあ、兄貴」


 お久しぶりのおじさんたちである。おはようございます、と挨拶をして、わたしは一度クーラーボックスを地面に置いた。おじさんたちとの話はついつい長くなることが多いし、何よりクーラーボックスが重い。

 それはそれは重い。

 入部してからわかったことだけれど、マネージャーは力仕事が結構多い。おかげでこの四ヶ月で少しばかりか筋力がついたような、少しばかりか身体が引き締まったような気がしなくもない。


「はい⋯⋯いい試合でした」
「⋯⋯やっぱ兄貴の涙は堪えるか」
「ふふ」


 延長十四回の力投の末、兄は甲子園に散った。テレビに映った兄の涙に、胸が締め付けられた。

 その残響が、──まだ残る。


「強豪ひしめく甲子園でさえ、兄貴から四点も取ったチームは青道以外ねえんだよな。次こそは行きてえな!」
「頑張ります!」


 力強く頷いた、その時だった。


「ねえ、君。マネージャーでしょ? 何を頑張るの?」
「え?」


 斜め後ろから掛けられた低い声に、振り返る。

 なんだか今、ものすごく良くない言葉を投げかけられた気がする。穿ってい過ぎだろうか。純粋に「どんなことを頑張るのか」と問われただけだろうか。

 しかしその声音に、嘲た含みがあったこともまた確かだ。

 自然と怪訝な面持ちで、声の主を見る。
 背丈のそこまで大きくない、初めて見る風貌のおじさんが、右手で顎髭を弄りながら小難しい顔でこちらを見ていた。


「マネージャーって、一種のマスコット的なポジションだろ? 女子マネージャーを取らない学校だってあるし⋯⋯何か頑張ることってあるの?」
「な、」


 当人を前にして何て物言いをするんだろう、この人は。
 
 頬に血が集まるのを感じる。お腹の奥からふつふつと湧き上がるのは、悔しさに似たものだ。この感情に既視感を覚え、記憶を辿る。

 ──ああ、そうだ。

 あの日、先輩とティーバッティングをしていた時。同じようなことを言われた。野球もしたことがないやつに何がわかるのか、と。

 かたん。

 ずっと残っていた蟠りが、腑に落ちる音がした。

 そうか。世の中には、マネージャーをそういうふうに捉えている人が少なからずいるのか。

 個人の価値観や先入観、固有概念はまさに千差万別。自らのそれとの相違にその度に一憂していては、自らが信じられなければ、自分が惨めだ。

 わたしはわたしの信念を貫けばいい。一也くんや兄はきっと、それが揺るがぬから強いのだ。

 例え誰かと衝突することがあっても。


 しかし、ここはスルーだ。スルーに限る。何事にも難癖付ける人もいるものだ。グラウンドで、どこの馬の骨とも知れぬおじさんと喧嘩をするわけにもいかない。


「オイオイアンタ、随分な口だなあ。名前ちゃんのこと何も知らないだろ」
 おじさんの一人が咎めるように口を挟んでくれた。

「いいんです。わたし、失礼しますね」


 気にしたら負け。相手にしたら思う壺。スルーだ。そう言い聞かせ、地に置いたクーラーボックスを手に取る。早くこの場を離れよう。俊敏に踵を返した背に、追い打ちをかけるように声が掛かる。


「なるほど。選手だけじゃなくギャラリーも味方に付けるか⋯⋯女子マネージャーってのは強か、なんだな」
「っ!」


 手を滑り落ちたクーラーボックスが、ドサッと音を立て転がる。

 スルーなんて!
 出来ますか!
 こんなこと言われて!

 おじさんたちは純粋に野球が好きで、青道が好きで、こうして応援してくれている。わたしだけならまだしも、おじさんたちまで侮辱するような言い方。

 許すまじ。我慢できません。

 向き直り、一言物申そうとした──その刹那。横から手を掴まれ、強く引かれる。


「名前、行くぞ、何してんだ」
「わ、か、ずやく」


 有無を言わさぬ力で引かれ、難癖おじさんとは逆方向に向かわされる。いつの間にか彼の片手には、わたしが落としたクーラーボックスがあった。おじさんたちの間を抜ける最中、慌てて謝罪する。


「ごめんなさい! あんなふうに言われて言い返せなくて」

「なんだ、俺らのこと言われたの怒ってくれたのか。優しいなあ」
「御幸、助かった。フォローしてやってくれ」
「俺らは気にしてないから」

「うう、皆さん、わたし不甲斐ないです⋯⋯!」


 そう言い終わる頃には、ギャラリーの間を抜け終わっていた。

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