13.砕けた星屑、爪痕の花


 練習が終わった夕のことだ。名前の姿がいつからか見えないことが気になり、俺は吉川に声を掛けた。


「お疲れ。名前どこ行った? しばらく見てねえんだけど」
「あっ、名前ちゃん、午後になってから体調悪くなっちゃって⋯⋯少し横になって休んでたんですけど、熱も出てきちゃって、今さっき帰りました」
「は? 帰った? ひとりで?」
「タクシー呼ぼうかって言ったんですけど、『あんまりお金もないしまだ元気だから今のうちに帰るね! また明日〜!』ってさっさと行っちゃって」
「⋯⋯あのバカ」


 思わず舌打ちしそうになった。変に頑固というか、甘え方を知らないというか。まあ、そこに関しては俺も人のこと言えないが。

 名前の自宅は青道からはそれなりに離れた地区にある。時間もかかるし乗り換えも必要だ。何より今日は、ひとりで留守番と言っていた。熱でも上がったらどうするつもりだ。看病してくれる人もいないし、いや、そもそも帰宅途中で更に具合が悪くなったら。

 かと言って俺は寮住みだし、泊まらせてやることも看病に向かうことも出来ない。

 一度、深く息を吸う。

 ⋯⋯あれこれ考えても仕方ない、か。まずは連絡を取ろうと自室へ急いだ。





「⋯⋯⋯⋯出ねえ」


 一向に止まないコール音。もう電車に乗ってしまったのかもしれない。メールを入れておき、あとから掛け直そうか、と耳から携帯を離そうとした、その時だ。

 プツ、とコール音が途切れ、途端に喧騒が耳に飛び込んでくる。騒がしい。⋯⋯ああ、ホーム案内のアナウンスが聞こるから駅にいるのか。


「名前? まだ乗ってねえか? まだならいっぺん戻ってこい」


 そう告げる。しかし一向に返事が返ってこない。

 そうだ。普段は必ず『はーい』とか『一也くん?』とか。どことなく期待を含んだ声で電話に出るのに。今日はその第一声さえなかった。

 言いようのない違和感に、胸騒ぎがした。


「⋯⋯名前⋯⋯?」
『⋯⋯──、──ち、早く何か喋れって』


 ──男の、声だった。

 さっと血の気が引き、足元が歪む。こいつの電話に代わりに出そうな男の顔を思い浮かべるが、そのどれとも声が合致しない。

 張り上げたくなる怒号を抑え、問う。その声は自分のものではないようだった。地を這うように低く、明らかに相手を詰る響きを含む。


「⋯⋯誰だ」
『⋯⋯あっ、お、俺、⋯⋯その、』
『ああもう代われ! こんなとこでも人見知りなのかよ! ほら、俺の耳に携帯あてて!』


 少なくとも二人。二つの異なる声音が、電話の向こうで言い合っている。

 何だこいつら。
 名前に何しやがった。

 あらゆる可能性が脳裏を駆けるが、その中にひとつとして良い可能性が浮かばない。俺は部屋を飛び出しながら携帯に噛み付いていた。


「誰だっつってんだよ!」
『あっ、怒るな怒るな! 俺だよ、』
「ざけんな、誰だよ、なんでこいつの携帯に出てる」
『話は最後まで聞けって! 薬師の、真田! 覚えてるか? ったく、雷市が画面に『御幸一也って表示されてる!』っつって出るだけ出て喋んねえから』
「⋯⋯は? 真田?」


 はたと足が止まった。自室から一階へと向かう階段の途中だった。まだ沈みきらない夕焼けが、階段を抜け俺の足元だけを染めている。
 
 
「⋯⋯何してんだよお前ら」
『いや、俺らも全然状況分かんねえんだけど、とにかくこの子⋯⋯お前から電話来るってことは、やっぱお前んとこのマネージャーだろ。見覚えあると思ったんだよな。今そっちに運んでる最中だから』

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