13.砕けた星屑、爪痕の花


「⋯⋯どういうことだよ」
『だから怒んなって、最後まで聞いてくれ。意外と気ィ短いやつだなあ』
「煽ってんのはそっちだろ、さっさと話せ」


 一旦止まった足を、再度運ぶ。
 未だに心臓はどくどくと脈打っている。名前はどうしてる。何故真田──口振りから轟もいるか──が、名前の携帯に出る。電話口に出たのが一応の顔見知りという以外、何一つとして解決していない。


『はいはい。⋯⋯絡まれてたんだよ、大学生に。最初はお前らのマネージャーだって分かんなくて、ただ困ってたから声掛けたんだけどさ。なんかすげえ熱あって、朦朧としててとても帰せなくて⋯⋯聞いたら家も遠いし、この駅青道から近いじゃん。学校なら車もあるだろうし、取り敢えずソッチに届けたほうがいいかと思って。したらお前から電話が来たってわけ』


 ──⋯⋯は、

 肺腑の奥から搾り出されたような吐息が落ちた。安堵なのか。憂惧なのか。形容し難い感情が混沌として掴みきれない。ただ、その身が無事であってよかった、と。最低限の安堵に胸を撫で下ろす。

 次いでぎりりと奥歯を噛み締めた。何故もっと早い段階で気づいてやれなかったのだろう。何故、名前を背負っているのが自分ではないのだろう。


「⋯⋯名前は?」
『今は俺の背中で寝てる』


 ピキ。そう音を立てたのはこめかみの血管だろうか。目元がひくつくのを自覚しながら、それを抑え込み努めて冷静に返す。


「⋯⋯悪ィ、頼むわ。俺もそっち向かう」
『もう着くぜ、校舎見えてる。正門の方な』
「分かった。変なとこ触んなよ」
『⋯⋯ははーん、お前ら、そういうこと』
「うるせえ」


 ブツンと会話を終わらせる。電話を切る手に信じられない程の力が入ってしまった。

 正門に回ろうと寮と室内練習場の間に足を向けた時だ。ティーでもやるのか、小湊と倉持がグラウンド側からやって来た。


「どーした? 御幸。そんな急いで」
「倉持、礼ちゃん呼んできてくれ、正門まで」
「あ?」
「礼ちゃんいなかったら、誰かマネージャーでもいいから。あんま大事にはしねえでくれな」


 必要最低限──とさえ言えないかもしれないが──の情報しか伝えられなかった。それでも何かを察してくれたのか、倉持は頷いた。


「⋯⋯わかんねーけどわかった」
「サンキュ」


 夕陽に影が伸びる。
 背丈を軽く超える影の長さが、夕も終わりに近いことを告げていた。

 正門に着くと、見慣れぬシルエットが二十メートル程先に見えた。真田と。おぶさった名前と。恐らく真田と名前の荷物を持つ轟と。

 俺に気がつくと、真田は口角をあげニッと笑んだ。


「チィーッス、お届けもんです」
「名前」


 真田の軽口に付き合う気分ではなかった。駆け寄り、名前の様子を窺う。

 今朝はあんなに元気だったのに。浅く短い呼吸が、体温の高さと倦怠感を映している。
 昨日リビングで寝てしまったと言っていたが、絶対床で腹でも出して寝てただろ、と思う。

 図らずもふう、と溜め息が落ちた。その姿を確認して、安堵したからなのかもしれない。

 しかしなんて無防備なのだろう。たかだか一度対戦したことがあるだけのチームの、エースの背で。


「そんなおっかねえ顔しねえでくれよ。ここに乗せるまでだいぶ渋られたんだぜ、帰るって言い張って聞かねえし。けど、ふらふらだったしこっちも引くに引けなくてさ。丸め込むの苦労したぜ」


 なあ雷市?
 と話を振る真田は、マウンド上の姿よりも幾分穏やかに見えた。


「ミッシーマが『俺が背負う!』っつって聞かなかったのが悪かったと思うんだよな。この子もミッシーマに背負われるより、俺の方がなんぼかマシだろ」
「自分で言うかよ」
「ははっ。監督なんてスカート捲ろうとするしさ、マジ犯罪」
「⋯⋯はあ? 通報しとけ」


 名前のことだ。ここでも意地張り子を発揮したに違いない。それでも最終的に真田の提案を承諾したあたり、身体も相当しんどいのだろう。


「けど、助かったよ⋯⋯で? 一体どんな状況だったんだ?」


 名前の身体を俺に預けようとしてくれたのか、真田は地面に片膝をついた。俺も高さを合わせ屈む。


「俺ら、練習試合の連勝祝いでさ、監督の馴染みの焼肉屋がまけてくれるっつーから皆で食いに来たんだよ。それがたまたまあの駅の近くだったってわけ。最初に気づいたのは雷市なんだよな」


 真田の視線を受け、轟が頷いた。
 轟雷市。怪物のようなスラッガーだが、グラウンドでの姿とは受ける印象が随分と異なる。

 おどおど。きょどきょど。

 視線をあちこちに泳がせながら、轟は懸命に言葉を紡いでいるように見えた。


「その、きっと、熱でふらついて⋯⋯あいつらにぶつかっちゃったんだと思う。⋯⋯それ、で、言い掛かりつけられて⋯⋯そのうち、『可愛いからまあいいや。俺らと遊ぼーよ』って腕引っ張られたりして⋯⋯あ、その時転んで、⋯⋯ここ」


 轟が名前の膝を指差した。擦り切れ、所々滲んだ血が痛々しい。どんだけ膝に傷作れば気が済むんだ、こいつは。


「それで、⋯⋯サナーダ先輩とかミッシーマとかが助けに行った」
 轟はしゅんと視線を落とした。

「雷市ももうちょい早く俺らに教えてくれればよかったんだけどな。無駄に怖くて痛い思いさせちまった」
「⋯⋯そうか」


 台詞とは裏腹に、真田の口調からは轟を責める響きは少しも感じられなかった。むしろ名前への申し訳なさが滲んでいる。

 良い奴なんだろうな。真田も轟も。

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