名門校とだけあって、整った設備に複数あるグラウンド。おおよそ百の部員数。多くのOBや近所の野球ファンが、連日足を運び練習風景をみている。
わたしもその観客たち──多くはおじさんだった──に混ざって、いつも彼の姿をみていた。
常連のギャラリーに顔が知れてくると構ってもらえるようになり、そのうち色々なことを教えてくれるようになった。それぞれの選手について。練習や試合内容の解説。他校の情報。
主婦の井戸端会議よろしく、様々な会話が飛び交うのだ。控え目に言っても非常に勉強になった。この一年で、わたしの野球の見方は随分と変わったように思う。
そんなわけですっかり馴染み深くなった校門をくぐり、グラウンドへと足を運んだ。久々に薫る砂埃と草いきれ。選手たちの声。野球の音。
ああ、──いいなあ。
やっぱり、この場所がいい。
「お? 名前ちゃんじゃねぇか」
「久しぶりだな、今まで何してたんだ?」
ちょうど休日だったこともあり、おじさんたちはやはり今日も集まっていた。わたしを見かけると、皆口々に声を掛けてくれる。
「へへ、受験してました。お久しぶりです」
「受験? そういや中三だったか」
「俺の娘も受験だったぞ、同級生か」
「お前んとこの話はいいよ。そんでどうだった? 結果は」
「おかげさまで、受かりました! ここ」
ここ、とグラウンドをちょこんと指差す。
それを見たおじさんたちは、一斉に目を輝かせ、皆一様に目尻を下げた。
「ここ? そりゃよかった」
「いつも通ってたもんなぁ」
「ほれあそこにいるぞ、名前ちゃんのオトコ」
「あははっ、やだ、またそんな言い方して。そんなんじゃないんです」
笑って軽口を返しながらも、逸る心臓は抑えることができなかった。まだ彼の姿を目にしてさえいないのに。その存在を示されただけで、口から心臓が飛び出てしまいそうになる。
「相変わらず安定して上手ぇわなー、御幸は」
──⋯⋯一也くん。
視線の先。グラウンドで声を出す彼の姿。それだけで不覚にも泣きそうになってしまった。ぐっと唇に力を入れて堪える。
こんなにも、こんなにも。わたしには彼が必要なのだ。もっと早くに来ればよかった。
そんなわたしの様子を見て、なぜか同じように涙ぐむおじさんがいた。
「名前ちゃん⋯⋯よかったなあ、久しぶりだもんなあ」
「何お前まで泣きそうになってんだよ。歳で涙腺緩くなってんのか? ほれ名前ちゃん、おっちゃんのハンカチでよければ使いな」
「お前のハンカチなんて何付いてっかわかったもんじゃねぇ。ちょっと待ちな、今ティッシュ出してやっから」
「ありがとうございます⋯⋯でもまだ涙も鼻水も出てないです⋯⋯何拭くんですか」
「わっはっは。そりゃよかった。名前ちゃん泣かせたら御幸に怒られちまう」
「ふふ、まさか」
笑える。よかった。おじさんたちがいてくれてよかった。ひとりで見ていたら、きっと泣いてしまっていた。
熱くなった喉の奥。それを鎮めるように胸に手を当て、グラウンドを見つめていた、その時だった。
「ねえ、あなた」
「はっ、ひい」
背後から突然掛けられた女性の声に、びくんと肩が跳ねる。驚いて変な声が出てしまった。はひい、って。恥ずかしい。ドキドキと打つ心臓のまま、振り返る。そこには、見覚えのある人物が笑みを湛えて立っていた。
「あ⋯⋯確か副部長の、えっと」
「あら、私のこと知っててくれたのね。副部長の高島礼よ。それなら話が早いわ。⋯⋯ああ、ちょっとこの子お借りしますね」
高島礼と名乗った女性は、周りのおじさんたちにさらりと断りを入れ、わたしを真っ直ぐに見つめた。
「唐突だけれど、苗字さん、ウチの部のマネージャーやらないかしら?」
「⋯⋯え?」
なぜ、この人はわたしの名前を知っているのだろう、とか。マネージャーって何だっけ、とか。
端的に言うと、わたしは混乱していた。
「ごめんなさい、びっくりしたわよね。成宮鳴くんの妹さん、でしょ? 私、スカウトのためにあちこちに試合を観に行くけど、あなた、いっつもいるんだもの。覚えちゃうわ」