14.夜の吐息の落ちぬ間に


「⋯⋯風邪、移っちゃう」
 布団に吸収された声が、もごもごと出る。

「俺は床で寝たりしないし腹も出さねえから大丈夫。いーじゃん、やらせてよ。看病と言えば口移し、だろ?」
「ふふ、漫画の読み過ぎ」
「はい、そういうワケで観念して。もう少し飲めるか?」
 
 布団を軽く捲り、彼は覗き込むように問う。

「⋯⋯うん」


 答えるより先に、彼は再度ペットボトルに口をつけた。何度か繰り返される口づけ。そのたびに喉を液体が滑る。

 熱があるからか、感覚が酷く敏感だ。唇、肌、舌触り、音に光景。些細などれもが身体の髄に響き、肌が震える。しかも口づけのたびに、ほんの少しだけ舌を絡めたり、唇を食んだりされるものだから、自然と息が上がっていく。

 
「は、ぁ⋯⋯も、大丈夫、ありがと」
「ん。じゃあ熱測るぞ」
「⋯⋯一也くんのせいで上がったかも」


 体温計を受け取る。ちらと見遣ると、見慣れた救急セットが見えた。そこから出してきてくれたのだろう。
 制服のリボンを取り、ブラウスのボタンをひとつ外して脇に体温計を挟んだ。

 水分を摂り会話を重ねたことで少し意識がクリアになってきた。体温計が鳴るのを待ちながら、訊ねてみる。


「ね⋯⋯ここどこ?」
「青心寮とは別棟の管理人室。今は使ってないみたいで、開けてくれたんだよ。掃除も定期的にしてるってさ。こんなとこあったんだな」


 頭を傾け、物珍しい気持ちで見回す。小さなシンクと洗面台がついている。奥に見える扉はトイレだろうか。

 ピピッと体温計が小さな音を立てた。


「何度?」
「⋯⋯さんじゅうくどにぶ」
「そりゃきちーわな。解熱剤飲むか」


 彼が再度救急セットに手を伸ばした、その時だ。コンコン、とノックの音。「入っても大丈夫?」と高島先生の声がした。一也くんが「うん」と答える。


「よかった、起きられたのね。具合どう?」
「ご迷惑おかけしてごめんなさい。お水飲んだら元気になりました」
「ウソウソ。三十九度超え、完璧アウト。これから薬飲ませるとこ」


 すかさず一也くんに反撃される。高島先生は思案顔で、「困ったわね」と呟いた。


「お父様ね、やっぱり連絡がつかなくて」
「はい、今日はすごく忙しいみたいなので⋯⋯大丈夫です。薬飲んだら少し下がるだろうし、帰ったら寝てるだけなので」

 これに高島先生はかぶりを振った。

「やっぱりね、まだ高校生だし、私たちの立場からはこの状況でひとりの家に帰すわけにはいかないの。⋯⋯どうする? 私の家に来る?」
「「え?」」


 高島先生の提案に、疑問の声がふたつ、ぴたりと同じタイミングで上がった。

 ひとつはわたしのもの。
 もうひとつは一也くんのものだ。


「先生のおうちになんて、とても、」
「俺にここで看病させてくれんじゃないの?」


 続いた言葉もきれいに被った。正確には彼の声にかき消されたと言ったほうが良いかもしれない。

 高島先生はキッと彼を見る。


「ダメよ、あなたが一番何するかわからないじゃない」
「熱出して倒れてるやつに何もしねえよ⋯⋯コラコラ、名前までそんな目で見んな」


 だって口移しされたもん、と視線で返すと、「まあまあ。嘘も方便ってな」みたいな顔をされた。


「ここなら食いやすいもん作ってやれるし。この部屋なら男子寮ってわけじゃねえし、体裁上も大丈夫だろ」
「あなたが居るという以外の体裁はね」
「⋯⋯礼ちゃん、何か厳しくねえ?」
「何かあったら大変でしょう。苗字さんをお預かりするわけだし」


 わたしを置き去りにして、二人は白熱していく。口を挟む隙がない。自分が喋らずにいると、途端に睡魔が襲ってくる。先に解熱剤を飲んでおくべきだった。瞼が重たい。


「だってさ、礼ちゃんは彼氏の看病したくなんねえの?」


 だなんてブッ込んだ質問を聞いたのを最後に、意識は睡魔に引きずり込まれた。

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