14.夜の吐息の落ちぬ間に


 次に目を醒ましたとき、部屋には誰も居なかった。先程より身体が軽い。自力で上体を起こすことが出来た。まず目に入ったのは、小さな紙切れだった。罫線が入っているからノートの切れ端なのだろう。一也くんの字が並んでいる。


【俺らだけヒートアップしてごめん。
 ここにこのまま泊まることになったから。
 何か食えそうなもん作ってくる。
 服は楽なの着ていいよ。】


 タオル、着替え数枚、ミネラルウォーターに薬、歯ブラシ、バスセット等々各種取り揃えられていて、その完璧な周到さに思わず笑ってしまった。

 水を口に含み、熱を測る。三十七度九分。まだ上がり下がりがあるだろうから何とも言えないけれど、自力で動くなら熱が低めの今がチャンスだ。

 トイレまで歩いてみる。万全の状態とは言えないけれど、ひとりで歩くことが出来た。扉を開けた先の光景に、「わ」とひとり言が漏れる。


「シャワーもついてる⋯⋯」


 随分と汗をかいている。熱も引いてきたタイミングだし、軽く汗を流したい。

 少し迷って、パッと入ってしまおうと決める。タオルと着替えを取りに行ってから、シャワー室に入った。

 夏だし、こういう時はぬるめのお湯が良いと聞く。身体にお湯をかける。気持ちいい。直後、膝に小さな痛みが走る。見ると、膝の傷には絆創膏が貼られていた。これも彼がしてくれたのだろうか。

 手早く全身を洗い、シャワー室から出る。肌に触れるタオルが微妙に痛い。洗っている最中にも思ったけれど、やはり感覚が敏感だ。もこもこと柔らかい泡でさえ、いつもと違う肌への刺激となった。

 用意してくれた着替えを手に、ありがとう、と胸の内で呟く。彼のティーシャツに袖を通す。


 ⋯⋯一也くんの匂いだ。

 
 彼の匂いに包まれ、きゅう、と心臓が鳴く。

 ──何だろう。
 こんなに近くに感じるのに、すごく寂しい。早く会いたい。そんな切なさが駆け巡る。

 弱った時に人肌恋しくなるとは、こういうことなのだろうか。それを埋めたくて、彼のジャージを履く。

 履いて、わたしは驚愕した。

 一也くん、足、長⋯⋯っ!

 しっかりと腰上まで履いているのに、裾からは爪先さえ見えない。スタイル抜群過ぎか。なんて溢しながら裾を数回折ったところで、ようやく我が足が顔を出した。

 彼の足が長いせいで、余計な体力を消費してしまった。少し息が苦しくなって、布団の上に座り髪を拭く。その時だ。小さなノックのあと、鍵を回す音がしてドアが開いた。


「お、起きてる⋯⋯って風呂入れたのか」
「少し熱下がってたから、パッと入っちゃった。たくさん用意してくれてありがとう」
「よかった、少し元気そうだな。ドライヤー持って来るわ。あと足りねえもんは?」
「んん⋯⋯足りないものと言えばわたしの足の長さくらいかな」
「は?」


 部屋に入ってきた彼は、左手にお盆を乗せていた。上に小さな丼ぶりが見える。まだ微かに湯気が立っている。

 
「⋯⋯いいにおい」
 間近に置かれたお盆を見る。卵粥に梅干しが乗ったものと、その陰にプリンが置かれていた。

「何か腹に入れたほういいと思って、軽く作ってみた。プリンは倉持から。食えそう? 全然無理しなくていいぞ」
「一也くんが作ってくれたの⋯⋯? 絶対たべたい」
「分かった。髪乾かしてからな。出来たばっかでまだ熱ィし。ちょっと待ってろ」


 彼は再度部屋を出ていってしまった。何度こうして往復してくれたのだろう。申し訳ない気持ちと、しかしそれを嬉しく思う気持ちとが揺れている。

 お出汁の香りが鼻孔をくすぐる。こりゃあただのお粥じゃないぞ、とお腹がひと鳴きする。
 
 彼はこんなふうに、ご飯を作って。家のことをしながら、父と野球と生活してきたのだろうか。そう想いを馳せる。

 ──何だろう。

 やはり無性に、彼が恋しい。

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