次に目を醒ましたとき、部屋には誰も居なかった。先程より身体が軽い。自力で上体を起こすことが出来た。まず目に入ったのは、小さな紙切れだった。罫線が入っているからノートの切れ端なのだろう。一也くんの字が並んでいる。
【俺らだけヒートアップしてごめん。
ここにこのまま泊まることになったから。
何か食えそうなもん作ってくる。
服は楽なの着ていいよ。】
タオル、着替え数枚、ミネラルウォーターに薬、歯ブラシ、バスセット等々各種取り揃えられていて、その完璧な周到さに思わず笑ってしまった。
水を口に含み、熱を測る。三十七度九分。まだ上がり下がりがあるだろうから何とも言えないけれど、自力で動くなら熱が低めの今がチャンスだ。
トイレまで歩いてみる。万全の状態とは言えないけれど、ひとりで歩くことが出来た。扉を開けた先の光景に、「わ」とひとり言が漏れる。
「シャワーもついてる⋯⋯」
随分と汗をかいている。熱も引いてきたタイミングだし、軽く汗を流したい。
少し迷って、パッと入ってしまおうと決める。タオルと着替えを取りに行ってから、シャワー室に入った。
夏だし、こういう時はぬるめのお湯が良いと聞く。身体にお湯をかける。気持ちいい。直後、膝に小さな痛みが走る。見ると、膝の傷には絆創膏が貼られていた。これも彼がしてくれたのだろうか。
手早く全身を洗い、シャワー室から出る。肌に触れるタオルが微妙に痛い。洗っている最中にも思ったけれど、やはり感覚が敏感だ。もこもこと柔らかい泡でさえ、いつもと違う肌への刺激となった。
用意してくれた着替えを手に、ありがとう、と胸の内で呟く。彼のティーシャツに袖を通す。
⋯⋯一也くんの匂いだ。
彼の匂いに包まれ、きゅう、と心臓が鳴く。
──何だろう。
こんなに近くに感じるのに、すごく寂しい。早く会いたい。そんな切なさが駆け巡る。
弱った時に人肌恋しくなるとは、こういうことなのだろうか。それを埋めたくて、彼のジャージを履く。
履いて、わたしは驚愕した。
一也くん、足、長⋯⋯っ!
しっかりと腰上まで履いているのに、裾からは爪先さえ見えない。スタイル抜群過ぎか。なんて溢しながら裾を数回折ったところで、ようやく我が足が顔を出した。
彼の足が長いせいで、余計な体力を消費してしまった。少し息が苦しくなって、布団の上に座り髪を拭く。その時だ。小さなノックのあと、鍵を回す音がしてドアが開いた。
「お、起きてる⋯⋯って風呂入れたのか」
「少し熱下がってたから、パッと入っちゃった。たくさん用意してくれてありがとう」
「よかった、少し元気そうだな。ドライヤー持って来るわ。あと足りねえもんは?」
「んん⋯⋯足りないものと言えばわたしの足の長さくらいかな」
「は?」
部屋に入ってきた彼は、左手にお盆を乗せていた。上に小さな丼ぶりが見える。まだ微かに湯気が立っている。
「⋯⋯いいにおい」
間近に置かれたお盆を見る。卵粥に梅干しが乗ったものと、その陰にプリンが置かれていた。
「何か腹に入れたほういいと思って、軽く作ってみた。プリンは倉持から。食えそう? 全然無理しなくていいぞ」
「一也くんが作ってくれたの⋯⋯? 絶対たべたい」
「分かった。髪乾かしてからな。出来たばっかでまだ熱ィし。ちょっと待ってろ」
彼は再度部屋を出ていってしまった。何度こうして往復してくれたのだろう。申し訳ない気持ちと、しかしそれを嬉しく思う気持ちとが揺れている。
お出汁の香りが鼻孔をくすぐる。こりゃあただのお粥じゃないぞ、とお腹がひと鳴きする。
彼はこんなふうに、ご飯を作って。家のことをしながら、父と野球と生活してきたのだろうか。そう想いを馳せる。
──何だろう。
やはり無性に、彼が恋しい。