14.夜の吐息の落ちぬ間に


 ドライヤーを手に、彼はすぐに戻ってきた。ちょいちょいと手招きされ、傍に寄る。「ここ座って。乾かしてやるよ」と促され、彼の足の間におずおずと腰を下ろした。

 ぶわ、とドライヤーの音。熱風に攫われた髪が頬を掠める。優しく撫でるように触れる指先。うなじがくすぐったい。髪先にまで神経が通ったようだ。背中には時折彼の胸板が触れる。

 ただ髪を乾かしてもらうだけなのに、どうだろう。彼の手にかかると、酷く扇情的な行為へと変貌する。しかし同時に心地良く、風に揺られる綿毛のような気分でもあった。

 すっかり乾かしてもらったところで、頬に掛かった髪を彼の指先がそっと払った。そのまま髪を耳にかけ、「⋯⋯まだ残ってる」と呟く。


「⋯⋯? 何が?」
「ここ、」
「ひゃ⋯⋯っ」


 言うが早いか、彼は耳朶の裏側をぺろっと舐めた。

 ──ああ、そこは、今朝。

 今朝のことを思い出し、更には彼の舌先の感覚も相まって背筋がぞくぞくと震える。今は敏感なのだ。やめてほしい。


「キスマークって意外と消えねえんだな」
「めっちゃ他人事じゃん⋯⋯」


 彼は何食わぬ顔で、わたしの髪をひと束掬っては指先でくるくると遊んでいる。その口元に笑みが浮かんでいて、「どしたの?」と問う。


「ああ、いや、でけえなと思ってさ。俺の服」
 ぎゅ、と身体に腕が回った。彼の上腕に頭を預ける。

「ええ、それはもう。足の長さに打ちのめされました」
「ははっ、そりゃ背があっから。⋯⋯また少し上がってきたんじゃねえの、ちょっと熱いぞ」
「ありゃ、そう?」
「今のうちに食っとくか」


 頷き、布団の上へ戻る。
 芳しい香りに誘われ、お腹がぎゅうと締め付けられた。わたしが手を伸ばすより先に、彼が器を手に取る。


「ん」


 匙に掬われたお粥が口元に差し出される。わたしの食べやすい角度、量。こんなところまですっかり見越されている、のだけれど。

 これはいわゆる「あーん」というやつではないか。

 彼が見つめるその先で、唇を開き匙を咥える。そのことがこんなにも羞恥を煽る。しかし彼は容赦がない。いや、そもそも彼の辞書には容赦など存在しないのかもしれない。


「ほれ」
 なんで食わねえの? と、当たり前の行為のように彼の目が物語る。

「いた、だきます」


 ええいままよ!
 
 ぱくっとひと口。口に含むと、やさしいお出汁の味が広がる。じんわりと口内に沁み、胸がほくりとあたたまる。


「⋯⋯おいしい! 普通のお粥じゃない!」
「お粥作んの超久々だったから、気づいたらなんか凝っちまってて」
「ふふ、すごい。ほんとにおいしい」
「よかった」


 彼の口角が嬉しそうに上がる。

 ほぐした梅干しが含まれると、また違った美味しさが訪れる。熱で鈍った口内に梅の酸味がさっぱりと馴染む。ゆっくりと味わって食べながら、眠りこけてしまっていた間のことを話題にする。


「高島先生はなんて?」
「名前はどこまで覚えてる?」
「一也くんが『礼ちゃんは彼氏の看病したくなんねえの?』って言ったとこまで」


 聞かれちまってたのか。そんな彼の苦笑いを見て、ああ、怒らせでもしてしまったのだろうかと思う。

 そりゃそうだ。レディーに向かって。


「『悪かったわね、恋人のいるあなたの気持ちがわからなくて!』って、やべえ視線向けられた」
「やべえ視線」
 思わずそのままを繰り返す。

「そんで、気づいたら名前は寝ちまってるし⋯⋯俺らも冷静になってさ。礼ちゃんは管理人に有事の際を託して帰った。何かあったら夜中でも対応してくれる。⋯⋯親父さん、朝になったら仕事終わるだろ? そん時また連絡取ってみるってさ」
「たくさんありがとう⋯⋯高島先生も、一也くんも、新チームにとって大切な時期に本当にごめんね」


 この言葉に、お粥を掬いかけた彼の手が止まる。

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