ドライヤーを手に、彼はすぐに戻ってきた。ちょいちょいと手招きされ、傍に寄る。「ここ座って。乾かしてやるよ」と促され、彼の足の間におずおずと腰を下ろした。
ぶわ、とドライヤーの音。熱風に攫われた髪が頬を掠める。優しく撫でるように触れる指先。うなじがくすぐったい。髪先にまで神経が通ったようだ。背中には時折彼の胸板が触れる。
ただ髪を乾かしてもらうだけなのに、どうだろう。彼の手にかかると、酷く扇情的な行為へと変貌する。しかし同時に心地良く、風に揺られる綿毛のような気分でもあった。
すっかり乾かしてもらったところで、頬に掛かった髪を彼の指先がそっと払った。そのまま髪を耳にかけ、「⋯⋯まだ残ってる」と呟く。
「⋯⋯? 何が?」
「ここ、」
「ひゃ⋯⋯っ」
言うが早いか、彼は耳朶の裏側をぺろっと舐めた。
──ああ、そこは、今朝。
今朝のことを思い出し、更には彼の舌先の感覚も相まって背筋がぞくぞくと震える。今は敏感なのだ。やめてほしい。
「キスマークって意外と消えねえんだな」
「めっちゃ他人事じゃん⋯⋯」
彼は何食わぬ顔で、わたしの髪をひと束掬っては指先でくるくると遊んでいる。その口元に笑みが浮かんでいて、「どしたの?」と問う。
「ああ、いや、でけえなと思ってさ。俺の服」
ぎゅ、と身体に腕が回った。彼の上腕に頭を預ける。
「ええ、それはもう。足の長さに打ちのめされました」
「ははっ、そりゃ背があっから。⋯⋯また少し上がってきたんじゃねえの、ちょっと熱いぞ」
「ありゃ、そう?」
「今のうちに食っとくか」
頷き、布団の上へ戻る。
芳しい香りに誘われ、お腹がぎゅうと締め付けられた。わたしが手を伸ばすより先に、彼が器を手に取る。
「ん」
匙に掬われたお粥が口元に差し出される。わたしの食べやすい角度、量。こんなところまですっかり見越されている、のだけれど。
これはいわゆる「あーん」というやつではないか。
彼が見つめるその先で、唇を開き匙を咥える。そのことがこんなにも羞恥を煽る。しかし彼は容赦がない。いや、そもそも彼の辞書には容赦など存在しないのかもしれない。
「ほれ」
なんで食わねえの? と、当たり前の行為のように彼の目が物語る。
「いた、だきます」
ええいままよ!
ぱくっとひと口。口に含むと、やさしいお出汁の味が広がる。じんわりと口内に沁み、胸がほくりとあたたまる。
「⋯⋯おいしい! 普通のお粥じゃない!」
「お粥作んの超久々だったから、気づいたらなんか凝っちまってて」
「ふふ、すごい。ほんとにおいしい」
「よかった」
彼の口角が嬉しそうに上がる。
ほぐした梅干しが含まれると、また違った美味しさが訪れる。熱で鈍った口内に梅の酸味がさっぱりと馴染む。ゆっくりと味わって食べながら、眠りこけてしまっていた間のことを話題にする。
「高島先生はなんて?」
「名前はどこまで覚えてる?」
「一也くんが『礼ちゃんは彼氏の看病したくなんねえの?』って言ったとこまで」
聞かれちまってたのか。そんな彼の苦笑いを見て、ああ、怒らせでもしてしまったのだろうかと思う。
そりゃそうだ。レディーに向かって。
「『悪かったわね、恋人のいるあなたの気持ちがわからなくて!』って、やべえ視線向けられた」
「やべえ視線」
思わずそのままを繰り返す。
「そんで、気づいたら名前は寝ちまってるし⋯⋯俺らも冷静になってさ。礼ちゃんは管理人に有事の際を託して帰った。何かあったら夜中でも対応してくれる。⋯⋯親父さん、朝になったら仕事終わるだろ? そん時また連絡取ってみるってさ」
「たくさんありがとう⋯⋯高島先生も、一也くんも、新チームにとって大切な時期に本当にごめんね」
この言葉に、お粥を掬いかけた彼の手が止まる。