14.夜の吐息の落ちぬ間に


「なんで謝る? 確かにキャプテンは慣れねえし、チームもまだ形が朧気だけど⋯⋯お前はもっと俺に頼れ」
「でも一也くん、キャプテンになってから野球のこと考えてると⋯⋯ってつまりだいたい常にってことだけど、お顔がひきつってて⋯⋯出来るだけ負担かけたくない」
「負担? お前が?」

 彼はきょとんと目を丸くした。

「バカ、何勘違いしてんだよ。逆だよ逆、お前がいるから踏ん張れんの。だから早く元気になって、早くグラウンドに戻ってこい」


 くしゃくしゃ。乾きたての髪が優しく混ざる。

 思わぬ彼の言葉に、胸が詰まった。

 薄らと潤んでしまった瞳を隠すように、目を伏せる。頭を撫でた彼のその手が、そのまま体温を測るように額を覆った。


「やっぱ上がってきてる。食ったらもっかい熱測って、ダメなら薬飲むか」
「うん。プリンも食べていい?」
「ああ。食欲あってよかった。ちなみにこれ、増子さんが最近食ってたオススメだってさ。倉持は食ったことないみたいだけど、きっと美味いって」


 もっちー先輩が鞄を運んでくれたのだと聞いた。一也くんが他言はしないように伝えてくれたというから、部員に気づかれぬようにプリンを買ってきてくれたのだろうか。

 皆の心遣いが嬉しい。
 早く元気になって。あの場所に戻りたい。

 時間をかけ食事を終える。体温が上がり切るところまで辛抱してから解熱剤を飲む。彼が食器を片付けに行ってくれている間に、歯も磨いた。

 たった数分。
 食器を片付けるだけの、本当に数分だ。

 なのにもう、彼がいないことが酷く堪える。ぽっかりと。まるで穴でも空いたかのように、彼の部分が埋まらない。甚く空虚で、引きずり込まれてしまいそうだ。

 人肌が、彼が、恋しいにも程がある。

 だから、部屋に戻ってきた彼が「もう横になったほうがいいな。夜中でも何かあったらすぐ連絡すんだぞ」と、自室へ戻る雰囲気の言葉を発した瞬間、咄嗟にティーシャツの裾を掴んでしまった。

 優しい声が降ってくる。


「ん? どーした?」
「え、⋯⋯っと」


 ──わたしは今、何を言おうとしたのだろう。

 一瞬だけ彼を見上げて、言い掛けた言葉を反芻し恥ずかしくなり、すぐに視線を逸らす。

 絶対に迷惑だ。
 彼にはたくさんやるべきことがある。ただでさえこんなに手間をかけさせてしまった。いつまでも引き留めるわけにはいかない。

 わかっている。
 わたしの中のお利口さんの部分は、引き留めてはいけないと、この手を離すべきだと理解している。

 しかし、やはりどうしても──傍にいてほしい。

 その気持ちが拭えない。
 その気持ちに抗えない。


「いーよ、言ってみ?」
「いや、⋯⋯その」
「な? 大丈夫だから」


 その優しさに手繰られるように、気づけばわたしは口を開いていた。つくづく自分に甘い一日となってしまった。


「⋯⋯もうちょっと、ここにいてほしい。なんかすごく寂しいの」


 ぱちくりとひとつ。
 彼の瞬きが挟まる。

 
「ああ、俺が自分の部屋帰るかと思ったのか。ごめん、言い方悪かったな。もともとお前が寝るまでここにいるつもりだったよ」
「え⋯⋯あ、そう、なの?」


 ぺたんと布団に腰を下ろし、頭巾のように頭から布団で覆う。隙間からちらっと見上げる。


「子どもみたいなこと言っちゃって恥ずかしい⋯⋯呆れた?」
「全然。弱ってる名前、めちゃくちゃ可愛いぜ。⋯⋯普段もだけど」
「かっ、」


 直球な物言いに火照った頬。初めて、可愛いと言ってくれた。面映さに耐えられなくなり、がばあっと布団の中に埋まる。

 もう、夏大前はあんなに勿体つけてたくせに、今はこんなにストレート⋯⋯!

 頭の中で先の言葉がリピートされるたび、心臓に甘く突き刺さる。物凄いダメージだ。例え健常時であったとしても、HPがいくらあっても足りない。

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