15.まずはお礼にバナナでも


 朝になってようやく連絡のついた父は、仕事が終わったその足で迎えに来てくれた。関係各者に父とお礼を言い、最後は車に回収された。

 練習は既に始まっていて、一也くんには会えなかった。

 帰宅後からまた熱が上がってきてしまい、虚ろ虚ろに夢と現実を行き来する。

 どれくらいそうしていただろう。
 なんとなく人の気配を感じて、目を開ける。


「あ、ごめん、起こしちった」
「⋯⋯お兄ちゃん、の、まぼろし」
「いやホンモノ」
「あれ、帰ってくるんだったっけ⋯⋯?」


 居るはずのない姿に驚く。
 甲子園が終わり二日間は練習が休みだとは言っていたけれど、その間も寮にいるつもりだと言っていたはずだ。


「名前が熱出したって聞いたから、帰ってきた。夜には戻るよ」
「ふふ、ありがとう⋯⋯お兄ちゃん、甲子園、お疲れさま」
「うん」


 兄の表情は、どこか穏やかだった。
 兄が一年生だった昨年の甲子園。兄の暴投で敗戦を喫した時とは明らかに違う。

 全力を出し切った。
 それでも日本一には届かなかった。

 そんな兄に、これ以上かける言葉が見つからない。言葉をかける資格もない。何よりこんな表情をしている兄が、言葉を必要としているとも思えなかった。

 夏を戦い抜き蓄積した疲労は計り知れない。なのに様子を見に来てくれた。

 兄の優しさがじんわり広がる。


「起こしちまったし、桃缶食う? 帰ってきてからまだ何も食べてないんだろ」


 時計を見る。十二時四十分。ちょうどお昼の頃合いだ。もともと用意してくれていたのか、兄の右手には桃が乗ったお皿、左手にはフォークがスタンバイされている。

 ぐう、と返事をした腹部を擦りながら身体を起こす。ふと枕元へ視線をやると、周囲がお土産で埋め尽くされていた。

 な、なんて量だ。
 その圧倒的な量に、わたしは言葉を失った。ていうかお供えみたいに置かないでほしい。寝こけるわたしを祀る祭壇のようになっているではないか。

 グラウンドキーパーを模したくまのキーホルダーを手に取り、


「これ、お兄ちゃんが?」
 フォークを受け取りながら問う。

「ああ、そのへんのは俺、こっちは母さんと姉ちゃんと。奇跡的に全部被ってねえの。すごくない?」
 兄はお皿を差し出しながら答えた。


 嬉しい。そして美味しい。
 はむはむと桃を食べながらお土産を物色していると、兄が「そういやお前さ、」と口を開いた。


「昨日寮に泊まったって? あんな男の巣窟に」
「大丈夫だよ、部屋は全然違うとこだったし、一也くんがいてくれたから──⋯⋯あ、」


 失言だった。
 
 慌てて兄を見る。一瞬ぽかんとしたのち、みるみるうちに頭に角が生えだす。メラメラと不穏なオーラが兄を取り巻き立ち上る。

 これは、やばい。


「⋯⋯何だって?」
「ううん何でもない」
「な ん だ っ て ?」
「ひぃ」


 兄に凄まれ、わたしは観念した。
 晴れて一也くんとお付き合いすることになったということを、端的にご報告する。

 決して悪いことはしていないはずなのに、身が縮こまる。まさに、結婚の許しを得る娘と父の図である。

 ちゃぶ台があったらひっくり返されていた。


「⋯⋯名前」
「⋯⋯はい」
「スマホ貸せ」
「えっ?」
「いーから」


 有無を言わさぬ圧力に、わたしは自身のスマホを手渡す。ロックはものの見事に解除された。どうやら一也くんに電話をするつもりらしい。


「でもいま練習中⋯⋯」
「ちょうどアッチも昼飯時だろ、出ねえとは言わせねえぞ一也」
「お兄ちゃん、」
「別に喧嘩しようってんじゃないよ。けどさ、確かめなきゃなんねえの。お前のこと、死ぬ気で大切にすんのかって」

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