15.まずはお礼にバナナでも


 七回表から登板した真田さんを、わたしは食い入るように見つめていた。

 右打者へのシュート。左打者へのカットボール。

 同地区の強敵の投手をこんなに近くで見られる機会もそうない。そのフォームを、軌道を、得られる情報を、取りこぼすことがないように。


「真田さんは、足が⋯⋯ふくらはぎか。不安材料なんだよね。ていうかマウンドにいるとおっかないなあ。ふふ、夏大よりキレッキレ」


 真田さんがマウンドに上がってからというもの、向こうの士気は上昇する一方だ。

 それがエースの存在感。
 これが薬師のエース、か。

 青道は七回裏から沢村くんをマウンドに送った。
 何かに逼迫したかのような表情。恒例の「バックの皆さん! ガンガン打たせていくんでよろしくお願いしゃす!」も聞こえない。


「沢村くん⋯⋯」


 夏大で白河くんの頭部へのデッドボールを出してしまってからだ。インコースを攻め切れないのは。

 どんな場面、どんな打者が相手でも尻込みしない強気な内への攻めが、彼の持ち味でもあった。

 しかし、それがどうだ。

 一也くんが内へ構えようものなら、コースは甘くなり逆球になることもしばしばだ。気持ちはしっかりと前に向かってきているように見えるのに。

 沢村くんに見えない位置での一也くんの表情が、沢村くんの状態の悪さを如実に表していた。

 結局、自分の投球を見失ったままその回に三点を失い、レフトについていた降谷くんとの交代を言い渡される。

 ベンチに戻ってくる沢村くんは、泣いていた。

 歯を食いしばり。
 嗚咽も漏らさず。

 ただただ俯き、──泣いていた。


 反撃の糸口を掴めぬまま、終わってみれば七対ニ。完敗だった。

 これがチームの現状。現在地。全国など程遠い。三年生の抜けた穴の大きさが、誰しもの身に沁みる。必然的に、雰囲気も重く暗くなる。それに引きずられないように、選手たちに声を掛けながら片付けをしていると、真田さんに呼び止められる。


「なあ妹」
「え⋯⋯あ、わたしのことですか? ふふ、やめてください」
「いーじゃん。で、あいつ、何? 何かあったの?」
「あいつって」
「沢村だよ。全然だめじゃん、どーしたの」
「⋯⋯さあ、調子悪いだけじゃないですか?」
「⋯⋯ふうん」


 敵チームに投手の内情をわざわざ教える人がどこにいるのだろう。真田さんだってそんなことわかってるだろうに、何故こんなことを聞いてくるのか。


「このままじゃつまんねえからさ、次当たるまでに立ち直らせといてよ」
「⋯⋯余裕ですね。わざわざエール送りに来てくれたんですか?」
「だって楽しくやりてえじゃん」


 無性に悔しさが込み上げた。
 こんなものじゃない。沢村くんは、青道は、こんなものじゃない。楽しくやりたいなどと上から目線で呑気なことを言っていたら、食われますよ。

 そんな苛立ちをぶつけたくなってしまって、少し意地悪を言ってみる。


「真田さんこそ、無茶してふくらはぎ⋯⋯ぶり返さないでくださいね」
「⋯⋯なんで知ってんだよ」
「いつも途中からの登板だし、フォームとか見てればわかります。あんまり失礼なこと言われると、わたし、そこらへんに言いふらしちゃいますよ」
「⋯⋯ははっ、面白えー。なあ妹、連絡先教えてよ。さっきも言ったけど下心じゃねえ、ただ、もっと話しようぜ」
「え、っと?」


 下心じゃない、ときた。
 つまり、野球の友達ということだろうか。つまり、ただの友達? いやいや、敵のエースだし。兄の友達ともワケが違う。

 なにより、もしわたしと一也くんの立場が逆だったら、これは絶対に嫌だ。相手が誰であろうと、女の子と連絡先など交換してほしくない。という、ちっぽけな独占欲剥き出しの嫉妬心が芽生える。

 ここまで実に〇.五秒。

 これはお断り一択だ。

 今日は携帯忘れちゃって、とかなんとか。適当にはぐらかそうとした、その時だった。

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