春に攫わる


 店を出てすぐ、鳴は御幸をじっとり睨めつけた。無論、名前の肩を抱いたままだからだ。

 
「ねぇちょっと。いつまでそれやってんの一也」
「いーじゃん、ひっさびさなんだから」
「良くない」
「はいはい」


 後腐れなく離れていってしまった御幸の腕を追いかけそうになり、必死に嗜める。鳴がいるから、ではなくて。誰に見られているかわからないから、だ。

 念の為、と周囲を見回し、溜め息。

 御幸も鳴も人目を気にしている素振りはない。もしかすると名前の気にし過ぎなのかもしれない。けれどこの二人は根も葉もないスキャンダルでも楽しんでしまいそうだから、気を付けるに越したことはないと、そう思う。

 思うのに、目の前の二人の姿を見ていると、やはり気にし過ぎなのだろうかという気になってしまう。当事者がこんな調子だと、こちらの調子も狂ってしまうではないか。

 
「⋯⋯それはそうとお兄ちゃん」
「なに?」
「迎えに来てくれたのは嬉しいんだけど、一言言っておいてくれるとか、お迎えを駅にするとか⋯⋯あんなにこまめに電話してたのに、急なんだもん」


 びっくりしたよ、と口を尖らせ見上げると、鳴はやれやれと溜め息を落とした。

 
「言ったところで名前が素直に『じゃあお店までお迎えおねがーい』ってなるわけないじゃん。言ったでしょ、最初が肝心だって」
「そ、それは言ってたけど⋯⋯」
「まぁ、おかげで名前の後ろには俺と鳴がいるってのがわかったわけだし、牽制としては十分過ぎるくらいだよな」


 話に乗っかってきた御幸へと、尖らせた口のまま視線をずらす。名前の顔を見て、御幸は可笑しそうに口角を上げた。
 

「なに、どうして俺もいるのかって?」
「うん。本当の本当にびっくりした⋯⋯ていうか一也くんすごく楽しそうだね」
「あ、バレた?」


 けたけたと笑う御幸は、困っている名前の反応も含めてこの状況すべてを楽しんでいるように見える。確信する。スキャンダル、絶対楽しむじゃん。


「名前から歓迎会のこと聞いた時さ、鳴ならぜってぇ乗り込むだろうなって思ったんだよ。で、今日は俺の試合も日中だったから、終わってからカマかけて聞いてみたらやっぱ牽制に行くっつーからさ」
「言っとくけど、一緒に来たんじゃなくて一也が勝手について来たんだからね」


 不服そうに顎を上げた鳴は、御幸にしっしと手を振る。

 
「てことで用も済んだことだし、じゃあね一也。俺らはタクシー拾うから」

 
 そう言い捨て「ほら、帰るよ名前」と背を向けようとする鳴に、御幸は「何バカ言ってんだお前」という表情で答える。

 
「え? 俺、名前んちに泊まってくんだけど」


 “鳴んち”ではなく“名前んち”と呼ぶあたりに、御幸の意地悪な魂胆を感じないでもない。が、そこは気にせず「ほんと?! やった!」と両手を上げて喜ぶ名前と、「は? お前の寝るとこなんてないけど!」と言い放つ鳴の表情が見事に対立している。
 

「はっはっはっ、またそんなこと言っちゃって。寝る場所くらいあるくせに」
「ねーよ」
「またまたー、天邪鬼だな」
「だからないんだって!」
 

 毎度然ることながら、御幸と鳴の犬も食わぬ喧嘩が勃発する。久しぶりに見たなぁと静観を決め込み、心穏やかに後方から見守りつつ横目でタクシーを探していた、そんな時だった。


「あれー、よお成宮!」


 よく通る、ハツラツとした声に呼ばれる。鳴と名前が同時に声の方を向く。刹那、隣から「ンゲッッッッ」と心底嫌そうな声。見ると鳴が苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 
「用事あるから来れないっつーから何かと思ったら女の子連れてんじゃん! 何だよ一人でお楽しみ中かよー」


 裏通りから出てきたのだろう。すぐに後ろから体格のいい男が他にも数人出てくる。その姿を見て名前は目を丸くする。
 
 ほ、本物だ⋯⋯!
 本物のプロ野球選手がこんなにたくさん!

 いつの間にか名前たちを取り囲むように、鳴の球団に所属する選手たちが立っていた。名前はまるで小学生のようにきらきらとした表情で「うわあ今日ホームランの⋯⋯!」とか「この体格で囲まれると圧迫感が⋯⋯!」とか「こういう普通(?)な所にも来ることあるんだなぁ」とか「こんなところでサイン頼んだら失礼かな?!」とか、感情ダダ漏れでその面々を見上げていた。

 この間、実に一秒にも満たず。

 すぐに選手の一人が御幸に気付く。
 

「あれ、御幸じゃん」
「ども」
「あー⋯⋯そーいや成宮とはガキの頃からやり合ってたんだっけ」


 他球団ながらも親交のある鳴と御幸の様子に勝手に納得してくれたらしいその選手は、そのまま名前へと視線を移した。

 
「で、この子は?」
「はっ、初めまして! 兄がいつもお世話になってます!」


 弾かれたように姿勢を正し挨拶をする。彼は興味深そうに笑みを浮かべながら「え、兄、どっち?」と鳴と御幸とを指差した。「あっ、こっちです」と指差した鳴の肩を、彼は間髪入れずにがっちりと引き寄せる。
 
 
「へぇ、成宮の妹ちゃん! コイツ敬語も使えない生意気ルーキーだけど、妹ちゃんはちゃんとしてんねぇ」
「ちょっと! 痛い! 馬鹿力なんだから気を付けてって言ってるじゃん! あと名前に近付かないで?!」


 急に肩を組まれぎゃいぎゃい騒ぐ鳴をただただ純粋な力で抑え込む彼の周りに、すぐに興味が集まる。

 
「なに?」
「成宮の妹だって。名前ちゃん」
「へぇー。大学生?」
「どう? 俺らと一緒に遊んでかない? 色々教えたげるよ」


 口々に話しかけてくる彼らを、「ちょっと離れて?! 名前に近寄るなケダモノ達!」と鳴が追い払う。恥ずかしい。先輩に対してなんて態度だ。早急にやめていただきたい。

 羞恥に耳の端を染める名前を余所に、彼らは豪快に笑ってみせた。
 

「はは、ケダモノ扱いされんだけど。ウケる」
「ほんっとクソ生意気。どーやったらそんな性格になるわけ?」


 どうやらこんな鳴にもすっかり慣れている様子だ。さすが、数々の修羅場を潜り抜けてきた野球のツワモノ達である。ルーキーの生意気な態度にたじろぐ精神など持っていない。
 
 
「あ、じゃあさ、代わりにお前が付き合えよ成宮」
「はぁ? なんで俺が」
「だって名前ちゃんと遊ぶのダメなんだろ。御幸──他球団の若手ホープにちょっかい出すわけにもいかねぇしさ。そしたら残るはお前だ。お前いたら女の子喜ぶし」
「何その理由──うわっ、離し、離れろ!」


 ひとたまりもなかった。
 野球界ではどちらかといえば小柄な鳴は、抵抗虚しく瞬く間に連行されていく。


「名前ちゃーん、今度は俺らとも遊ぼーね」
「いやムリだし! ていうか俺もムリなんだけど?!」


 と言い合う声が離れていく。鳴が引き摺られていく光景など、生まれて初めて見た。「一也、名前のこと送ったら帰れよ!」と言い残された言葉が無情にも喧騒に溶けていく。

 喧しかった場が、一気に静かになって。


「「⋯⋯いってらっしゃーい」」


 残された名前と御幸、揃って手を振るふたりの声が綺麗にハモった。

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