春に攫わる

 とん、と背が当たる感触。
 気付けば壁に押し付けられるようにして、深いキスに溺れていた。苦しいほどの密着感。片方の手には頭を撫でられ、もう片方には全身を包むように抱擁されている。太い大腿に両脚を割られていて、下半身すら身動きができない。

 嬌声も、吐息も。飲み込まれていく。

 はだけてきた春物コートなど気にも留めず、御幸の手が身体をまさぐりだす。背や腰を辿りながら次第に際どいところに近付いてくるその動きに、期待してしまって、焦れったくて、思わず下肢がそわりと動く。途端、脚の間に割り込んでいた膝に秘部をぐぐ、と刺激される。押し付けられ、じわりと染みが下着に拡がってしまう感覚。

 もう、こんなに濡れていたなんて。

 だってキスしかしていない。肝心なところには指先ひとつ触れられていない。それなのに、もうこんなに。

 自分の反応に驚き、身体が妙に強張る。それに気が付いたのか、それともたまたまなのか。腰のあたりを撫でていた御幸の手が下に向かい、丸みのあるラインを辿り始める。下着の上を滑り、布の際をなぞり、僅かにだけ指先を侵入させてみては決してそれ以上は入り込もうとしない。

 もどかしくて、御幸の背に回していた手に力が入る。愛液が絶えず滲み出す場所が、じんじんと痛いほどに疼いてしまう。

 欲しい。こんなに、欲しいのに。
 羞恥が勝って強請ることができない。だって久しぶりに会うというのに、帰宅早々玄関で求めるなんて、そんなの。

 でも、だからといってこのまま我慢することももうできそうにない。

 御幸は、──御幸はどうなのだろう。

 広い背にしがみつくようにしていた手を離し、そっと腰を滑って、鼠径部をたどり中心へ。確かめるように手を沿わせたそこで、名前は一瞬ぴたりと手を止めた。息を呑む。
 
 御幸のものは、ズボンの上からでもありありとわかるほど存在を増していた。安堵する。名前だけではない。御幸もきっと。そのことが嬉しくて、硬い膨らみを指先で弄る。

 御幸の肩が、一瞬、ぴくりと動く。
 
 そのまま誘うように、下から上へ。上から下へと。厚い布越しに撫でていると、御幸は自分でカチャリとベルトを緩めた。ボタンとチャックが開く。より近くで触れる許可を得た名前は、肌触りの良い男物の下着の上から、やわらかくやわらかく触れていく。
  
 ややあってから唇を離した御幸は、嬉しそうにしつつも好戦的な瞳で名前を見下ろした。
 

「積極的なのもいーもんだな」
「だ、って⋯⋯欲し、」
「ん?」
「⋯⋯っいれて、ほし、だもん」


 言ってしまってから思う。

 言っちゃった、と。

 それでも、吐露したのは紛れもない本音だ。真っ赤に染まった顔を隠すように俯いて、額を御幸の胸板に預ける。その次の瞬間だった。


「⋯⋯っ?」
 

 性急と言ってよかった。

 膝裏に差し込まれた腕に、片脚を持ち上げられる。スカートごと広げられた淫らな空間にはすかさず御幸の腰が入り込む。残る片脚で自分を支えなければならない不安定な体勢のはずなのに、壁と御幸によってかっちりと固定されている。

 すっかり濡れてしまったショーツのクロッチが躊躇いなく横にずらされる。下着という覆いのなくなってしまった秘部から、また、とろりと溢れる。そこに、ぴたりと熱が充てがわれて。

 挿れて、くれるの?

 期待と興奮とにこくりと息を呑んだ、その瞬間だった。熱を持ち膨れた御幸の屹立が、ずん、と一息に沈み込む。
 

「────ッ!!」


 どこかがびりびりと痺れた気がした。
 
 一気に御幸のかたちに開かれた密道が、応じるように一気に収縮する。声は鼻腔の奥で留まって、音にはならない。一瞬止まった息は、そのまま掠れた吐息となって御幸の衣服にかかる。

 ──気持ち、いい。

 久しぶりに享受する悦楽に、全身の細胞が震える。好きな人が目の前にいて、こうしてなりふり構わず深いところで求め合える。それがどんなに尊いことなのか。快楽に支配されていく頭の片隅で、幸福を噛み締める。

 密道の奥をぐぐっと押したまま名前を抱き締めてくれている御幸は、しばらくそのまま、まるでかたちを馴染ませるかのようにじっとしていた。

 少ししてから、一度ずるりと、ぎりぎりまで引き抜かれる。そしてまた、ひと息に奥に。


「ひぅッ、ぅあ、」

 
 撓った首。今度は本能のままに漏れ出た声を、少し遅れて両手で押さえつける。かろうじて残っている僅かな理性が、この場所で大きな声を出してはいけないと制止を効かせた。

 その様子を見下ろした御幸が、お得意の意地悪な顔で笑みを作る。

 
「⋯⋯こんなに玄関近かったら声出せねぇもんな」


 語尾の軽く上がった疑問形。挑発的な色を滲ませたその声音に、名前は鳩尾のあたりがそわりと疼くのを感じてしまった。
 
 快感に身を任せれば、玄関の外に声が響いてしまう。そうなれば引っ越し早々どんな噂が立ってしまうかわからない。駄目だとわかっている。でも、こんなに容易く気持ちよくされて声を上げてしまっている。

 背馳するこの状況に、どうしようもなく感じてしまうのだ。

 
「⋯⋯っ、ん、んぅ⋯⋯っぁ」


 この状況を楽しむように、御幸は遠慮なく抽挿を激しくしていく。必死にしがみつく。しかし繰り返される力強い腰の動きにすぐに耐えられなくなり、片脚では自重を支えきれなくなる。かくりと膝の力が抜ける。


「ん、そろそろしんどいな」
「は、ぁ、ごめ⋯⋯」
  

 どうしてこうも体力、というか筋力がないのか。もっと色んなことを一緒に楽しみたいのに。まだ、知らない快楽があるはずなのに。

 すぐに謝罪を口にするが、言い終える頃には既に残る片脚を持ち上げられていた。

 ふわ、と身体が浮く。


「え、ゃ、かず⋯⋯っん、んぅ!」
 

 深いところで繋がったままだというのに、全体重を御幸に預けた完全抱っこの体勢。慌てて声を上げたが、抗議の声も虚しく容赦のない突き上げが襲い来る。「ちゃんと捕まってろよ」などと耳元で囁く御幸は、なんとも愉しそうだ。

 
「ぁ、まって、わたし重⋯⋯っきゃぅ、んん」
「重くねーって。それよりベッドどこ?」
「あ、っやぁ、ふ⋯⋯っ、ぅあ」 

  
 櫓立ちで名前を突き上げながら、御幸は名前の部屋の場所を問う。しかし返答は要領を得ず、代わりに恥ずかしそうな喘ぎ声が御幸の鼓膜を舐るだけだ。

 その可愛い姿に唇で弧を描いてから、御幸はひとつ、ふたつと手前からドアを開けていく。


「お、ここだな」

 
 明らかに名前のにおいがするその部屋に、御幸は迷いなく踏み入る。そのままベッドに雪崩込む。ぼすん、と鈍い音を立ててマットレスが軋む。

 乱れた衣服の隙間から乳房や結合部を覗かせ、上気した頬で御幸を見上げ、荒げた息で「一也くん」と呼ぶ名前を見下ろす。胸がずくりと蠢く。

 わかっている。この感情の正体に、御幸はとうに気付いている。つい先刻、名前を迎えに行った時からずっと蠢いていた。

 堪らず名前の手首を押さえつける。
 

「⋯⋯この前電話ではああ言ったけど、いざ目の前にするとやっぱ腹は立つな」
「⋯⋯?」
「真田とお前が、同じ部にいるってさ」
「ん⋯⋯っ」


 細い両手首をひと纏めに掴み、頭上で縫い止めていた。名前はこうして身動きのできない状態にされると興奮するようで、甚く恥ずかしそうにしながらも、膣内ではきつく御幸を締め付けてくる。


「いや、つーかそもそも男といんのが癪なんだよな」
「ぁん、っは、ぁあ」
「⋯⋯誰にも触らせんなよ」
「ひぅ、ぁ、あっ」 
 

 軽い抵抗の素振りを見せながらも愉楽に溺れる名前の姿。それを御幸が生み出しているのだと思うと、同意の上なのに犯しているような感覚になり、御幸も興奮するのだ。


「ッ、名前の中すっげぇ、とろとろなのにキツイ」
「や⋯⋯っ、ん、そん」
「きもちーの?」
「っん、ぁ、きもちい⋯⋯っ、一也く、きもちい、の⋯⋯っ、すぐ、いっちゃいそ」


 でも、もっと、一也くんがほしい。

 うわ言のように、熱に浮かされたように御幸を求める名前の声に、御幸はぐっと奥歯を噛んだ。

 
「⋯⋯誰にもやんねぇ」 
 
 
 やらない。
 
 誰にも、やらない。
 
 名前は御幸のものだ。

 腕の中で良いように散々啼かされ、息も絶え絶えに、涙さえ浮かべながら名前が名を呼ぶ相手は、御幸だけだ。他の男の手になんて。絶対にやらない。




 
「──名前、もっかい」
「⋯⋯っ」
「名前」

 
 今日は幾度でも抱ける気がした。
 歯で引き千切るようにコンドームの袋を破り、達したばかりでくたりと横たわる名前に再び覆い被さる。息を切らしながら、それでも何度でも応えてくれる名前に御幸が感じたのは、支配欲に似たものだった。

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