「あの⋯⋯なんでもご自由に⋯⋯飲み物とかシャワーとか⋯⋯わたしちょっとまだ動けない⋯⋯」
「⋯⋯」
「な、なんですか⋯⋯」
「いや、なんでも」
「でもかおが⋯⋯笑ってますが⋯⋯」
ぐったりと臥せったまま、名前は恨めしそうに御幸を見上げていた。久々の逢瀬。名前も御幸も散々求め合った結果、汗を滴らせ息を切らした男前な御幸と、息も絶え絶えで動くこともままならない名前が誕生したのだ。
恨めしくもなるというものである。
「はは、いや、うん、可愛くてさ」
動けずにいる額に、ちゅ、と口付けが降ってくる。唇が触れる瞬間、反射的に軽く瞼を閉じる。身体も心もくすぐったくて、僅かに身を竦めていた。
「取り敢えず水持ってくる。冷蔵庫勝手に開けるぞ」
待ってて、と言うように頭をぽんと撫でて、御幸は部屋を出ていく。
言葉にならないこそばゆさとともに取り残された名前は、落っこちていた毛布を無言で引っ張り上げ、いつの間にか裸体となっていた自分をすっぽりと覆った。
少ししてから戻ってきた御幸は、名前に水分を与えたあと、ごくごくと喉仏を上下させてペットボトルを一気に飲み干す。その描の様になり具合に、ぽうっと見惚れてしまった。
視線に気づいた御幸が、首を傾げる。
「? どーした?」
「あ⋯⋯ううん、いい飲みっぷりだなぁと思って」
「そりゃあんだけ動けばな」
さらり、髪が掬い上げられる。
その指先に情事の熱がまだ残っている気がして、見つめる視線に熱がまだ籠もっている気がして、名前は気恥ずかしさに視線を逸らす。
今の御幸は色気が強すぎる。
「⋯⋯っそ、そういえば、わたし勝手に色々用意しちゃって」
「? 何を?」
「一也くんのお泊りセット」
慌てて話題を変え、だいぶ言うことを聞くようになってきた身体を起こす。「いつか来てくれるかなぁって考えたらわくわくしちゃって」と口にしながら、毛布を被ったままよたよたと歩きクローゼットを開ける。
「見て! まずはこのティーシャツ! パジャマ代わりにと思って!」
「⋯⋯」
この時の御幸の表情ときたら。
いつかの日々。沢村たちとバカをやっていた頃。名前たちの姿を眺めていた御幸が、同じような顔をしていたのを思い出す。
あの頃のままの御幸が垣間見えて嬉しいような、しかしそんな表情をされて悲しいような、なんとも言えない気持ちに見舞われる。
まあ、気を取り直して。
兎にも角にも、完全にネタとしか思えないシャツの柄に唇を真一文字に結び無表情を貫く御幸に、追い打ちをかけるように「これもでしょー、あとこれも⋯⋯」と次々に取り出す。
「見てパンツも!」
「⋯⋯いや何履かす気だよ⋯⋯お前完全におちょくってんだろ」
「そんなこと⋯⋯ちょっとしかないけど⋯⋯」
「あんのかよ」
御幸のツッコミに笑ってから、胸元で持っていたパンツを握り締め、上目で問う。
「⋯⋯着てくれない?」
「⋯⋯まぁ着るけど」
「ふふ、やった」
わかっていた。何だかんだ言いながらも、結局御幸が着てくれることなど、わかっていた。けれどこんな茶番が楽しいのだ。るんるんと浮かれながら、着替えとシャワーの準備をし、先に御幸を──「え? 一緒に入りゃいいじゃん」と言われた──バスルームに押し込む。
御幸がシャワーを浴びている間に、玄関、廊下、そして部屋、と順々に散乱している物を拾い集める。情事の痕跡を辿るのは酷く面映ゆく、一人で片付けてよかった、と先に御幸をシャワーに行かせた自分の功績を讃えるなどした。
次いで名前もシャワーを浴び、手早く寝る支度をする。洗面台の前で横に並んで歯を磨いていると、鏡の中、名前の選んだティーシャツとズボン──ついでにその中身にはパンツ──を身に着けた御幸と目が合う。自然と笑みが落ちる。
「ふふ、なんか恥ずかしい」
「そうか? もっと全然恥ずかしいことしてんだろ」
「⋯⋯そういうことじゃないです⋯⋯」
「はは」
からかっている時の御幸は本当に楽しそうで、どうにも憎めない。おまけに免罪符のように、ぽん、と頭に手が乗せられるものだから、名前はむうと口を噤むしかできなくなるのだ。
名前の部屋へと戻ると、御幸はすぐに名前を抱え込んで横になった。心地よい気怠さ。御幸の体温。さらっと洗いたての肌の感覚。どれもが気持ちよく、物凄い眠気が襲い来る。のだが。
「あはっ、腕がすごい、筋肉が」
腕枕をしてくれている筋肉が立派すぎて、思わず笑ってしまった。いや、もちろん非常に嬉しい。腕枕で眠れるなどこの上なく幸せで贅沢なことなのだが、とにかく立派すぎるのだ。筋肉が。
仰臥位なっても側臥位になっても急峻な首の角度を叩き出している名前の体勢に、御幸も笑っている。「腕に乗ってちゃ息止まっちまいそうだな。こっち来てみろよ」と、肩の上やら胸の上やらをころころ転がされる。
最終的に、本日は名前が御幸の腕に絡みつき、腕を抱き枕にするかたちに落ち着いた。
身体の厚みも腕の太さも、自分とはあまりにも違う。その相違にときめくと同時に、同じ人間なのに、と不思議にも思う。こんなに人間がいるのに。体格も性格も容姿も思考も、ひとつとして同じものは存在しない。ゆえに衝突することも、相容れないこともある。その一方で、心を通わせ、想い合うこともできるのだ。
そう思うと、目の前の存在がただただ、愛おしく感じられる。
「そーいや今更だけど、ベッドデカいのいいな」
「一也くんと一緒に寝たくて買ってもらったの」
「鳴に?」
「そう。ちょっとだけ怪しまれたけど、適当なこと言ってたら大丈夫だった」
「はは、アイツちょれー」
けらけらと笑う御幸の腕を抱き締めながら、思う。大学生になったところで寝相は何も変わっていないが、ベッドが広くなったのだから、夜中に御幸を蹴っ飛ばしてしまったりしなきゃいいな、と。
これまで御幸と共に夜を越した日を思い返していたところで、ふと思い至る。
「あれ⋯⋯もしかして初めてかも?」
「? 何が?」
「こうやって、ちゃんとおやすみの準備して一緒に寝れるのって」
「そうだっけ?」
「うん、たぶん。だっていっつも──」
高校生の頃は寮生活であったし、御幸が卒業してしまったあとの一年間も名前は寮か実家で生活をしていたから、そもそも共に眠りにつける機会は非常に少なかった。その中でも数少ないその機会はいつも、身体を重ねたあとに名前が真っ先に眠ってしまって、朝、御幸が隣で寝てくれていたのだと気付く──というパターンが多かった。
「言われてみればそんな気もしなくもねぇな⋯⋯名前いっつもこてっと寝ちまうもんな」
「わたしがって言うより、一也くんの体力が一般的なそれじゃないんじゃ⋯⋯」
「あれ、つーことはさ。今日はまだ寝てねえってことは、つまりまだシ足りねぇってこと?」
「なっ、何でそうなるの?!」
「はははっ」
笑う御幸を見ていると、寝るのが勿体ないなと思う。少しでも長く話していたいし、御幸が寝てからは寝顔だってずっと見ていたい。滅多に会えないのだから、会える時くらいは。
しかし抗えない眠気がすぐそこまで、否、もう半分ほどは意識を侵食しにかかっていて、悔しさに眉を寄せ口を曲げる。
「それはそうとお前⋯⋯さっきから眠気と戦う赤ん坊みてぇな顔してるぞ」
「え⋯⋯よく分かんないけど余計負けたくない⋯⋯!」
「目ぇ開いてないけど」
宥めるように側頭部の髪を梳かれ、つい、つられるように瞼を下ろしてしまう。大きな手に撫でられる心地よさと安心感。イチコロだった。
「おやすみ、名前」
「だめだぁ⋯⋯おやすみ⋯⋯」
こめかみを撫でてくれた感触を最後に、意識はふわりとどこかへ行った。