早速始まった合宿の行程。高校時代含めこれまであまり他校のマネージャーと協力する機会がなかったので、野球を堪能するよりも、距離感とか会話とか、そっちの方に気を取られてしまった。気付けば一日目はあっという間に終わりを迎えていて、消化不良の熱量だけが残る。
そんな名前に、声が掛かる。沢村だった。
「苗字ー、夜って暇か?」
「夜?」
「今日はブルペン入る機会なかったし、いっちょ自主練一緒にどうよ? ウチの一年キャッチャーが受けてくれるっていうし」
「やったあ! やります! さすが沢村くん!」
両手を上げて喜ぶ。こういうのを待っていた。寮生活だったからこそできたあの頃のように。
うっきうきで自主練の相談をしていると、真田が近付いてきた。
「お、なになに、面白そうな話?」
「はいとっても! ご飯終わったら沢村くんの進化した球見せて貰おうと思って」
「はは、うっきうきじゃん。てかお前ら初日から自主練すんの? 最終日までもつ? 結構キツイぜ?」
「「大丈夫です!」」
「元気だな⋯⋯」
綺麗にシンクロした返答にどこか呆れた様子で笑う真田を、沢村が軽快に誘う。
「真田さんも一緒にどうっすか?」
「いーの? やるやる。捕ってくれるやつ探しとくわ」
「あははっ、真田さんだって元気じゃないですか」
「省エネはもう卒業したからな」
食事を終え再度集まった名前たちは、雑談もそこそこにそれぞれ自主練を開始した。歳月を経ようと場所が変わろうとお構いなしに終始賑やかな沢村の横に慣れない真田は、何度も可笑しそうに肩を揺らしている。
「どーだ大学生になった俺は!」
「相変わらず楽しそうだよ」
「これはどーだ!」
「相変わらずよく動く球だねぇ」
「どーだ!」
「あれ⋯⋯なんかいずそうじゃない? 握り方ちょっと変えた?」
「や、変えてはねぇんだけど⋯⋯そーなんだよな、最近少しだけ違和感あってよ。やっぱ変か?」
「変ではないんだけど⋯⋯筋肉付いたから少しずつ微妙にズレてるのかな?」
「えっ、分かる?! 身体づくりきちーんだよ」
「ふふ。でもちゃんとおっきくなってるよ」
「うおお、見た目でも成果あり⋯⋯! 報われるぜ!」
「あっ、そうだ、奥村くんに連絡しようよ。沢村くんと合宿してること教えてあげなきゃ!」
「おお、そうだな、いっそのことテレビ電話しちまおーぜ!」
「あははっ、ウザがられる未来が容易に描ける! 是非あとでしよう!」
一球毎にああでもないこうでもない。練習というより懐古の時間のようでもあるが、それでも真田は感心した。
「お前らいっつもそんなんだったの? すげぇなー」
「コイツほんと目敏いっすよね」
「うん。てかお前ら仲良しだな」
「「? そうですか?」」
普通だよねぇ、と目を見合わせる二人の姿に、真田は束の間考える。
名前は真田に対して──というか基本スタンスとして異性に対して──警戒心が強めだ。真田がいるからなのか、もともとなのか、或いは大学生になってからなのか。
とにかくこんな名前の姿は、入学以来初めて見る。古巣ではこんな感じだったのか。いち投手にさえこうなら、御幸には一体どんな姿を見せているというのだろう。
そんな想像をしてなお、沢村に対してさえ──羨ましいと思ってしまった。御幸相手ですらないのに。名前とこんなふうに、駆け引きなどなしに、ただただ無垢に戯れ合うようにいられたなら。
天を仰いでいた。馬鹿な自分を心の底から嘲笑してやりたかった。腹の底から溜め息が溢れ出す。
──ここまで来ちまったか。
気を付けていたのに。不毛だから、嵌まり込まないようにしなければと、密かに何度も言い聞かせていたのに。気付けばこんなにも名前を想っている。
どこで、何を。
間違ってしまったのだろう。
「⋯⋯駄目だよなぁ。どうすっかな」
「どうかしましたか? そんな深刻そうに⋯⋯普段通りのいい球に見えますけど⋯⋯」
「はぁ〜〜〜〜〜どうしたもんかね」
「⋯⋯?」
この気持ちにどう向き合うべきか。俄に決めかねる。そして決められないことに、戸惑う。
以前の真田であれば迷わず奪いにいったから。そのスリルも込みで楽しみながら。しかし今は、余計なことを知ってしまった。御幸への想いの強さとか、名前の性格とか。真田がアプローチすればするほど、それらがただ名前の心を苛むということを、知ってしまった。
だから、迷う。
次の身の振り方に。この想いの行き先に。不毛な恋なんてする柄じゃないのに、こんなにも──迷っている。
◇
翌朝の朝食会場。学校毎のテーブルに着いた名前に、真田が声を掛けた。
「おはよ。昨日の夜は楽しかったな」
「はい! ありがとうございました! わたし毎晩でもいけます!」
今夜もどうですか?! と、朝から前のめりに誘う名前の言葉を聞いたチームメイトが「ちょっとちょっと何今の? やらしい言い方じゃん」と笑う。
「えっ、あっ、違います、自主練です自主練! 高校の同期が参加してて、一緒に⋯⋯ほらあの子です!」
「はは、知ってる知ってる、からかっただけ」
「や、やめてください〜〜〜」
「あはは、だって言い方がさ」
けらけらと笑われ、じとっと真田を見る。わざとですよね、と口を尖らせると「こんな簡単に引っ掛かると思わなくてさ」と、悪びれる様子は皆無である。溜め息をつくと同時、隣に座っていたマネージャーの先輩が「もう、名前ちゃんのこと虐めないで」と抱き締めてくれる。
「ていうか前から思ってたけど、名前ちゃん体力あるよね。夜は恋バナとかしたかったのに、ずーっと自主練から戻ってこないんだもん。うっかり先に寝ちゃったよぉ」
「えっ、待っててくれたんですか?! わー、連絡しておけばよかったです、高校時代の習慣だったのでつい⋯⋯遅くなってごめんなさい」
「いやいや、謝ることじゃないんだよ、純粋にすごいなぁって。あ、みんな揃ったし私達もそろそろご飯取りに行こっか」
朝食はバイキング形式だった。
各自好きな場所を巡っている最中、名前の後ろを回っていた真田が、あれやこれやと話しかけてくる。
「名前、それ俺の皿にも乗っけてー」
「はーい」
「あ、それも美味そう、乗っけてー」
「はあい」
「もっと乗せていーぜ。てか名前はそんな小鳥の餌みたいな量で足りんの?」
「あははっ。わたしも結構食べてるほうですよ、真田さんたちが変なんです」
周りを見ればどの選手も山盛りの皿を抱えている。もう見慣れた光景だが、彼らの食いっぷりはいつ見ても気持ちがいい。
「お、名前ちゃん。はよ」
「もっち先輩! おはようございます!」
「昨日沢村とやったって?」
「そーなんです楽しかったです! ていうか何で皆知ってるんですか?」
「俺が言いふらしてんだよ」
「真田さんが? な、何をですか⋯⋯?」
「何だろうなぁ。じゃ、俺は先に戻っとくわ」
テーブルへと戻っていく真田の背を見ながら、倉持は「今夜は俺も沢村のこと茶化しに行ってやるかな」と口角を上げた。
「それはそうと名前ちゃん、アイツいつもあんなん?」
「? 真田さんですか? いつも通りですけど何か⋯⋯」
「いや、何つーか⋯⋯ちょっと気になっただけなんだけどよ」
その微妙で独特な雰囲気に、ピンとくる。
高校時代の真田とのすったもんだを知っているのは、御幸を除けば渡辺だけだと思っていた。が、もしかすると倉持も御幸からでも聞いていたのだろうか。渡辺が口を滑らせるとも思えないし。
或いは、倉持の鋭敏な瞳が何かを察知したのだろうか。
前者の場合は別に良い。
ただ後者であった場合、話は変わってくる。
真田は「彼女がいる」と言っていたし、二年前のようなアプローチもないので、正直危機感は薄れていた。近頃は“普通の部員同士”として接していた。少なくとも名前はそのつもりだった。
「あの⋯⋯傍から見たらまずい感じですか⋯⋯? 彼女もいるし二年も経ってるからって言ってたから⋯⋯」
しかし倉持という第三者から見て違和感を覚えるのであれば。自覚と他覚が乖離しているのであれば。今一度考えを改めなければならない。
不安げに倉持を見上げる。その視線を受けた倉持は、不用意に不安を煽るような発言をしてしまったことを後悔した。
「悪い、変な聞き方しちまったよな。いっつもあんな感じで調子いいヤツなのかって意味だったんだわ」
「あっ、そうだったんですね! わー、ごめんなさい、早とちりしちゃって。恥ずかしいので聞かなかったことにしてくださいね」
そう言って眉を下げる名前を適当なことを言ってテーブルに帰してから、倉持は考える。
名前は「二年前」と口にした。ということは。こいつら高校時代にも何かあったのかよ。倉持は眉根を寄せる。その事実を先に知っていれば、真田が名前を見るあの瞳にも意味を脚色できそうなものだが──否、いずれにしても憶測の域を出ないものではある。無関係の倉持が出る幕ではない。
出る幕では、ないのだけれど。
一人、ぽつりと呟く。
「⋯⋯御幸のヤツ、知ってんのかよ?」