◇
「あっ?!」
気付いた時にはボタンが押されていた。
ピッ、ガコン、と自動販売機が軽快な音を立てる。名前は驚愕の表情で隣に現れた真田を見上げる。
「ちょっとー! 何するんですか?!」
「なんか迷ってるみたいだったから、代わりに押してやろうと思って。ほれ」
これだろ? みたいな顔で、取り出し口から拾い上げたペットボトルが手渡される。怒ればいいのか。呆れればいいのか。どっちつかずの表情で、諦めたように呟く。
「⋯⋯飲みたかったの、これじゃないです⋯⋯」
「あれ、そう? 俺はこれが飲みたかったんだけどな。んじゃあ名前が飲みたいやつは俺が奢ってやるよ、どれで迷ってんの?」
「え⋯⋯これとこれですけど⋯⋯」
「んー、じゃあこっち」
ピッ、ガコン、と今度は名前の提示した二種のうちの一方が転がり出てくる。手渡されたそれを、名前はなんとも言えない表情で見下ろす。
「一体なにやってるんですかわたしたち⋯⋯?」
「いーじゃんいーじゃん、人生楽しいことが多いほうがさ」
だなんてそれらしいことを言われるが、発生したのは、互いの飲み物を奢り合ったという結果だけを見れば意味のない事象である。
「何だよ、辛気臭い顔して。あ、一口飲む? 美味いぜ」
「⋯⋯」
不用意に差し出されたペットボトルを前に、名前は口を噤む。言おうか言うまいか。少し迷ってから、きゅっと結んだ口元を解く。
「その⋯⋯真田さん、あんまり誤解されるようなことしないほうがいいですよ」
「? 誤解って?」
「こういうの、部員のノリ的なものなんだとしても、彼女側からしたら⋯⋯少なくともわたしはいい気分はしません」
いわゆる間接キスに関しては、受け取り方は各々あるだろう。全く気にしない人、衛生的に受け付けない人、恋愛的に許容できない人、等々。名前は──御幸が異性に同じようなことをしていたら、嫌だ。きっと許容もできないし、酷く落ち込んだあと、もしかしたら詰ったりしてしまうかもしれない。
だから咎めるような口調になってしまった。
言い過ぎたかな。そう思って上目で見ると、真田は一瞬面食らった顔をして、すぐに合点がいったように拳で掌を打つ。
「あー、そういやそんな設定だったっけ」
「⋯⋯?」
「あれなー、嘘。ってかまだ信じてたんだ?」
「⋯⋯⋯⋯え?」
「だってああ言わなきゃお前入部しなさそうだったし」
「⋯⋯嘘って、何が⋯⋯」
ぽっかりと開いてしまった口をぱくぱくと空回りさせながら、呟いていた。
──設定? 嘘?
どれが、嘘?
話の流れ的に恋愛に纏わることであるのは間違いないだろう。だとすれば、彼女がいるということだろうか。それとも以前名前に抱いていた気持ちの行方だろうか。
考えて、今更ながらに思い至る。
そういえば、真田の彼女の話をまったく聞いたことがない。本人からも、周囲からも。そのことにもっと早くに違和感を抱いておくべきだったのだ。
混乱する名前の頭の中に、御幸の顔と、高校時代の真田と、そして今の真田が浮かんでは消えていく。
「この真田さんも⋯⋯嘘なんですか⋯⋯?」
「いやいや、彼女がいないこの俺はホンモノ」
「⋯⋯最初から? いなかったんですか?」
「そう」
呆気なく認められ、口を閉ざす。
名前が入部しないと思ったから。だから偽ったのだと、そう言った。確かにそうだ。入部しないつもりだった。結局は真田の考えていた通りなのだけれど。
これでは随分と話が違ってくる。
春に御幸とした会話の前提も。合宿中に倉持が言っていたことも。
「⋯⋯こんなことしてたらオオカミ少年みたいに信じてもらえなくなっちゃいますからね」
「お、まだ信じてくれてんだ?」
「⋯⋯っうるさいです!」
思わず声が荒ぶってしまった。
真田の悪いところだと思う。肝心なところを暈すために、巫山戯た調子で揶揄して。
「名前はぷりぷりしてんの可愛いよな。嗜虐心擽られるっつーか」
「何言ってるんですか、ほんとーーに怒りますよ!!!!」
「はは、もう怒ってんじゃん」
こうしてあしらうようにして軽く躱していく。これが真田の手口であることはもう学んだ。そして。
「でも実はさ、俺もどうしたらいいか迷ってんだよな」
「⋯⋯?」
「⋯⋯どーしてお前は、また俺の前に来たんだろうな」
「真田さん⋯⋯?」
たまにこうして、ぽつりと、意味深なことを呟いたりする。そのせいで無碍にすることもできなくなってしまうのだ。
「ま、取り敢えず嘘付いてたことは謝るわ。ごめんな」
「あ⋯⋯はい」
もうしないで下さいね、と添えながら、考える。彼女がいないのなら。そんな嘘をつくくらいなら。じゃあ今は、わたしのことどう思ってるんですか。
なんて、自分から聞けるはずもなくて。
「てわけで、そろそろ自主練行こうぜー。きっと沢村も待ってるからよ」
普段の様子に戻った真田の背中に、ただ消化不良で後味の悪い視線をぶつけることしかできなかった。