「もう明日が最終日かぁ⋯⋯早かったね」
自主練で入り浸ったおかげですっかり見慣れた練習場の風景。長いと思っていた合宿も、いざ終わりが間近になると途端に短く感じる。
「ほんとにあっという間だったよな。てことで、今日は苗字が掛けろよ。俺が掛けても出やしないことはこの数日で証明されちまったからな!」
沢村が言っているのは無論、毎晩毎晩行われていた奥村へのテレビ電話チャレンジである。
「えー、わたしが掛けたって出ないよ」
「やってみなきゃ分かんねぇだろ。あ、いっそのこと浅田とか瀬戸とかに掛けるか? アイツらなら出てくれるだろーしな」
「なんか⋯⋯わたし、すんなり電話が繋がるとそれはそれでつまらない域にきちゃって⋯⋯」
「おお、分かるぜ⋯⋯」
神妙に頷く沢村に、名前も頷き返す。
何度もチャレンジしてきたせいで、名前にも沢村にも謎の意地が芽生えてしまっていた。
「やっぱり奥村くんのガード突破したいよね。じゃあダメ元で! 今日はわたくしがいかせていただきます!」
そう宣言して、ビデオ通話を開始する。
何度も、何度も呼び出し音が鳴って。スタンバイしている自分たちの顔だけが画面を占める。──やはり駄目か。そう諦めかけた、その瞬間だった。名前たちは目を見開き画面を凝視する。
たった数ヶ月前に別れた後輩の、少し懐かしいぶすっとした顔。否、ぶすっとというか睨んでいるが、何はともあれ、まさか最終日に電話が通じるなんて。思わず「「えっ?!」」と声を揃えてしまった。おかげで仏頂面に拍車が掛かる。
「⋯⋯毎日毎日毎日毎日何ですか」
「わー、本物だ、やっと出てくれた! っていうか顔とか映してくれるんだ?!」
「やっと、とかじゃないです、しつこいです、暇なんですか」
「あははっ、変わってない!」
「よぉー、元気にやってんのか?! つーか背景が寮じゃない!」
「そりゃあ引退しましたから」
「夏大熱かったねぇ⋯⋯ていうか奥村くんも引退とかするんだ⋯⋯この間青道に入学してきたばっかな気がするのに⋯⋯」
「親戚ポジションみたいなのやめてください。何しみじみしてるんですか」
好き勝手喋り出す先輩二人──嬉しさや懐かしさの余りなのだが──に、奥村の諦めたような溜め息が落ちる。
「⋯⋯それで、用は」
「用⋯⋯? 別に用はないよねぇ」
「うむ」
顔を見合わせながら首を傾げる名前と沢村。取り立てて言うほどの用事はないのだから仕方がない。しかしそれを聞いた奥村は、「はぁ?」と語気を荒げた。
「何ですかそれ。切ります」
「あーっ、待って待ってー! もう少し話そうよー!」
「用はないって言ったじゃないですか」
「用はなくても話はできるんだよ」
「でもする話がありません」
「「え〜〜〜!」」
とかなんとか、楽しそうにうざ絡みする二人を見ていた真田が、「面倒くせぇー」と笑っている。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯奥村くん? どうかした?」
「なんか⋯⋯背後に見知った顔が見えるんですが」
「あ、そう、真田さん! わたしと同じ大学なの」
途端、奥村が眉を顰めカメラに顔を近付けた。まるで内緒話でもするかのような素振りに、名前と沢村もつられて顔を近付ける。アップになったそれぞれの顔が画面に犇めくなか、奥村が、ぎりぎり聞き取れる程度の僅かな声量で言う。
「⋯⋯⋯⋯大丈夫なんですか」
ああ、そういえば。
奥村は二年前の夏大で少しだけ、名前と真田のやり取りを聞いていたのだったか。それともその時御幸から何かを言われていたのだろうか。
何れにせよ、“そういう意味”での「大丈夫なんですか」なのだろう。
沢村が「? 大丈夫って何がだ?」と、せっかくの内緒話を無駄にする普段の声量で返事をする一方で、名前だけが眉を下げ、困ったように笑う。タイミングと条件が揃ってしまって、なんだか不安になってしまう。
そんな名前を気遣ってか、或いはただの偶然か。
奥村は深くは追及しなかった。
代わりに、空気をまったく読まなかった沢村へ苦言を呈すことにしたらしい。
「沢村先輩のせいで台無しです」
「え?! 何が」
「ハァ⋯⋯まぁいいです。それより沢村先輩は調子はどうなんですか」
「オウ、この通り元気だぜ!」
「元気かどうかなんて聞いてません見なくても分かりますから。というか沢村先輩に限って球の心配以外何の心配するんですか」
と、御幸であれば「馬鹿は風邪ひかねぇって言うしな」とでも言いそうなことと同じニュアンスの台詞を真顔で放つものだから、名前はつい吹き出してしまった。
「ぷっ、ふふ、沢村くん信頼(?)されてるね」
「いえ、笑ってますけど苗字先輩も沢村先輩と同類ですから」
「えっ?」
ちょっとどういうこと?! と怒り出す名前をつんとした瞳で見遣って、奥村は口を開く。
「ところで苗字先輩。あの人、ファームからはいつ出るんですか」
──あの人。
奥村の口から出たその響きに、心臓がつきんと音を立てる。
沢村も、奥村も、そして言わずもがな名前も。御幸という人間に、人生を変えられた者たちだ。だから奥村から放たれるその響きに、似通った心境が少なからず混ざっているのだろう。胸の奥が、御幸を思い出して焦がれた音を立てるのだ。
「⋯⋯そうだね、きっとすぐだよ」
「そうですね。安心しました」
不意に口を衝いて出た応対の言葉。自分で言っておいて、奥村は疑問に思う。
⋯⋯安心?
何の、安心なのだろう。
御幸の昇格に対してのものではない。御幸が一軍で戦っていないことに焦れることはあっても、昇格する未来を疑うことはない。
では何故。何故そもそも名前に聞いたりしたのだろう。付き合っているからといって、そんなこと、名前だって知るはずもないのに。
何を確認したかったのだろう。
そんなことを奥村が考えている間、名前と沢村は「引退後寂しくて蛻の殻になってない?」だとか、「お前もう風呂は入ったのか? あ、進路はどーすんだ?」だとか、やたらめったら話し掛けていた。しかし物思いに耽る奥村は完全に上の空。まったく合っていない適当な相槌ばかりが返ってきて、そして唐突に。
「では切ります」
「「えっ? あっ!」」
有無を言わさずぶつりと電話は途切れてしまった。
そのあまりのスピードに暫し呆気にとられてから、名前と沢村は我に返って笑い出す。
「あはは、切られちゃった」
「仮にも先輩相手に一方的過ぎんだろ!」
「でも『する話がない』なんて言う割には結構話してくれたね」
「ワハハ、嬉しかったんだろ。天邪鬼なヤツだからな」
「なんか懐かしくなっちゃったね」
「今度高校に差し入れでも行こうぜ」
「行く行くー!」
こうして更けていく合宿最終日前夜。合宿中に欠けた部分の多くなった月が、夜空から見下ろしていた。