春に攫わる


 御幸の言葉を噛み砕いて丁寧に胸に押し込みながら、名前は遠慮がちに訊ねる。

 
「一也くんは⋯⋯嫌じゃない?」
「ん? 真田のことなら、そりゃ嫌だけどな。何が楽しくて、あんだけお前にちょっかいかけてたヤツと同じチームに送り出さなきゃなんねぇんだよって感じ。けど、どこの馬の骨ともわかんねぇやつに目付けられるよりはずっとマシだわ」


 少しぶっきらぼうになってしまっている口調を自覚しつつ、御幸は思う。
 
 真田の言う“彼女がいるいない”はあまりアテにはしていない。人の心など容易く移ろう。より好みの人間が現れれば、心は簡単に靡く。仮に今、真田に彼女がいるとして、だからといってそれは真田が名前を好きにならないという理由にはならない。故に御幸にとっての安心材料にもならない。
 
 しかし心の遷移など真田に限ったことではないし、それを理由に名前の大学生活を縛ることはしたくない。──いや、本当はしたい。したいに決まっている。出来ることなら他の男と接する機会を撲滅してしまいたい。しかし、そんなことをする男ではいたくないという理性が、辛うじて抑えを利かせているだけだ。

 それに、思うのだ。
 アイツは何だかんだ気は利かせてくれる気するしな、と。

 御幸と名前のことを何も知らない人間だけの組織に放り出すより、事情を知っている人間がいるほうが恐らく都合が良い。嘘の苦手な名前では切り抜けられないような色恋の話題が出ても、アイツなら。真田なら適当に誤魔化して躱せるだろうし、躱してくれる気がするのだ。例えそこに、──真田がどんな気持ちを隠していようとも。

 そんなことを考えていると、名前が少し気不味そうに言う。


「あ⋯⋯その、真田さんのこともだけど⋯⋯」
「え、違ぇの」
「ううん! 違くはないんだよ、気持ち話してくれてありがとうね」
「ああ⋯⋯そんで他に嫌なことってのは?」
「⋯⋯わたしが一也くんのいないチームの応援するの、嫌じゃない?」


 御幸は束の間、動きを止めた。何かを言おうと少し開いた口から、驚きなのか喜びなのか、良くわからない笑いが出る。今もし名前が目の前にいたら、わしゃわしゃと頭を撫で、それから抱き寄せていたことだろう。


「な、何か面白かった⋯⋯?」 
「いや、お前も結構自信持てるようになったじゃん。偉い偉い」
「⋯⋯?」
「俺が妬くかも、って思うってのはさ、俺の好意に自信を持ってくれてるっつーことだろ」
「え⋯⋯」


 呆然と呟いてから、名前は突如として赤面した。耳に当てていたスマホを落っことしそうになりながら「うわ、ほんとだ、やだ、ちょっと待って」と、見ているはずのない御幸に向かってわたわたと手を振る。なんということを考えていたのだろう。自ら穴を掘って埋まりたい。
 
 御幸が身を置いている環境──芸能界との接点や社会人としての付き合い、大人びた店への先輩からの誘いなど、想像力というものは留まるところを知らなかった──に、会えない日々が続くことが相俟って、名前の心は不安一色なのだと思っていたのに。どうやら心の奥にはこんなにも傲慢な自惚れが眠っているらしい。

 なんて図々しいんだ、と項垂れていた。

 そんな名前の反応に可笑しそうに笑って、御幸が言う。

 
「今さ、想像してみたんだよ。大学野球の応援してる名前の姿。そしたら、少し鳴の気持ちわかっちまった」
「お兄ちゃんの」
「そう。名前が青道に入る時、アイツこんな気持ちだったのかなって。つーかさ、名前と付き合うようになってから『鳴の気持ちわかるな』ってこと増えたの、地味にヤバくねぇ?」
「あはは、やばいやばい」
「な」


 二人でけらけらと笑っていた。
 やばいのは勿論鳴の方である。

 
「けどまぁ、これは嫌ってのとは少し違ぇかな。それはそれ、これはこれ、みたいな。さっき名前に言ったことの逆だけど、名前が誰よりも、何よりも、俺を見てくれてんだっていう事実と未来に、俺は絶対的な自信を持ってる。名前が年月かけて植え付けてくれた自信、自負、自惚れがあるからこそ、今こうして名前の背押せるんだぜ」
「⋯⋯一也くん」
「⋯⋯なんか今日、俺ちょっと話し過ぎかもな」
「ふふ」


 決まり悪そうな御幸の声を聞きながら、改めて思う。御幸を想ってきた日々がこんなふうにかたちになってくれるのなら、これからも言葉で、行動で、示し続けようと。

 
「その感じだと答えは出てそうだな」
「うん、ありがとう」

 
 後悔するかもしれない。しないかもしれない。わからないがそれでもやはり、身を投じてみようと思う。御幸がくれた言葉が、名前に前を向かせてくれた。


「まぁ考え過ぎないで楽しめよ、大学生活。せっかく頑張って入ったんだから楽しまなきゃ勿体ねぇぞ」
「うん! 学業と推し活を最優先で楽しんでいきますので!」
「? おしかつって?」


 こういうことには疎い御幸に、「わたしの最推しはもちろん御幸一也だよ」と答えになっていないことを答える。御幸は「⋯⋯まぁいいけど」と言ってから、思い出したように口にした。
 

「あ、名前。約束してほしいことあんだけど」
「? なあに?」
「これから何かあったら──いや、何もなくてもだけど、名前が連絡したいと思った時には、俺がどんな状況の時だって迷わず連絡しろよ。それは絶対約束しろ」


 そこそこ強い口調で告げて、御幸はこの一年を振り返って思う。
 
 高校生は、守られていた。
 
 プロ野球の世界で生きてみて、そのことをまざまざと感じる。つい先日まで高校生だった名前に、これから突然社会が降りかかるのだ。金、酒、性、挙げればキリのないあらゆる危険が名前に及ぶかもしれない。それなのに御幸は傍にいることさえできないのだ。だからせめて。


「遠慮なんかしたら超束縛してやるからな」
「あははっ、残念。それはわたしには脅しになりません。一也くんに束縛されるなら全く苦じゃないもん」
「言ったな? お前俺の本気知らねぇだろ」
「うわ、ちょっと知りたいと思っちゃった」
「ご褒美になるんじゃ意味ねぇんだけど」


 呆れたように言う御幸に謝って、「約束するよ」と真面目な声で答え直す。時計を見る。少し話し過ぎてしまった。


「たくさん聞いてくれてありがとう。夜遅くなっちゃってごめんね」
「いや、俺も色々再確認できてよかったぜ。疲れただろ、ゆっくり休めよ」
「一也くんも。またね、おやすみね」
「ああ、おやすみ」


 名残惜しくて、通話が切れたあとも暫く画面を見下ろしていた。

 胸を張って御幸と生きていきたくて、必死に合格を掴み取ったのだ。会えない日々を憂うのではなく糧にする方法を模索しながら、自分を磨き、将来を探し、心を充実させていくことが、名前の当面の目標となりそうだ。

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