流れる星の落つところ


「っ、頭、痛……」


 がんがんと容赦なく頭が痛む。目を開けると、宝石のような碧が超至近距離で名前を見つめていて、息すら忘れて硬直する。

 だ、誰、悟? ……悟だ。

 何この状況。
 何がいったいどうして。
 ていうかここどこ。

 自身の置かれている状態を理解するまでに、たっぷり十秒ほどを要した。その間、瞬きをしていたかすら怪しい。


「……起きた?」
 悟が問う。

「……起きた」
 名前は気合を入れて頷いた。


 ゆっくり整理をしよう。
 昨夜満月を眺めていたら、悟に誘拐され、ゲームをする前にジュースを飲んで、それで、それで──

 低頭平身。
 
 昨夜の失態を思い出し、名前は土下座をする勢いで身を反転しようとした。しかし身体が動かない。悟の腕が、しっかりと背に回っていた。

 故に悟の腕の中で、その双眸を見つめ返す。


「……昨日はごめん。なんか、わたしがわたしじゃなかったみたいな感じで……あと頭がすごく痛い」
「うん。酔っ払ってたからね。そしてそれが二日酔いってやつだ。オマエ、アルコール向いてねえよ。大人になっても禁止、絶対ダメ」
「あれお酒だったの? もう懲り懲り」


 ふう、と気怠い吐息を落とす。端的に言って具合が悪い。そして昨夜のあの言動である。穴があったら入りたい。いや、むしろ埋めてほしい。


「……一緒にいてくれてありがとう。もしかしなくても、硝子ちゃんに頼まれちゃった?」
「ん」


 別に隠す必要もないと思ったのか、悟は素直に頷く。そっか、と名前は申し訳ない心地で眉を下げた。


「呆れた? こんな情けないことになってて。生かしてほしいってお願いしたのは、わたしなのにね」
「呆れねえよ、そんなん。けど……なあ名前、オマエ、後悔してるか?」
「何を?」
「生きてることを」


 ひゅ、と名前の喉が音を立てた。
 しかし次の瞬間には、その瞳に強い光が宿る。


「全然。感謝しかしてないよ。それとこれとは、別なの。だからわたしを助けたことは、悟があれこれ気にすることじゃない」
「お生憎さま、気にしてねえよ。俺、そんなヤワにできてねえの」


 悟はぶっきらぼうに言った。そこに紛れた優しさに、名前はふふ、と肩を揺らす。

 思い返すのは、忘れじの。両親と過ごしたあの日々。慎ましやかで、穏やかで、愛に溢れた。陽だまりのような日々だった。

 両親は、見えない側の人間だった。人から恨みを買うような人間ではなかったと思う。なぜ呪霊に襲われたのか。そこに理由があったのかなかったのかは、わからない。

 ただ、唐突に。すべてを奪われた。

 襲撃の最中、危機的状況で両親が呪霊を視認していたかは定かではない。しかし両親は、最後まで名前を庇おうとした。守ろうとした。最愛の娘だけは、と。

 最後に残されたその命さえ奪われそうだったところを、悟に救われた。

 絶望の中。哀しいくらい美しい瞳に。

 残酷な死の淵でも、こんな美しさを見せてくれる世界なら。生きてもいいと思った。生きたいと思った。生き延びた先への崇高な理想などは、そこにはなかった。ただの生存本能だったのかもしれない。

 生きる理由は、生き延びたあとに探した。それでいいと、それでよかったと、今でも思っている。

 しかし、あの日からなのだ。瞼を閉じると、闇が迫ってくるようになったのは。真っ暗な闇が、ひとりぼっちの名前に向かって、おいでおいでと手招きをする。お前だけが生き延びてどうするのだ、と。

 そちらに行ってしまえば、楽ではあるのかもしれない。哀しみも、痛みも、孤独も。何も感じなくて、何も考えなくてよくて。

 しかしそれは同時に、この場所には二度と戻っては来れないということでもあった。

 それが、怖くて。怖くて堪らないのだ。

 誰かが隣にいると、このうつつに自分が繋ぎとめられている気がして、眠りにも手を伸ばすことができた。


「悟の隣は、すごく安心する。こんなにぐっすり寝れたの、あの日から初めて」

 名前ははにかんだように笑う。

「ありがとう」


 まるでそこに、やわらかな花が咲いたようだった。まわりの空気が穏やかに揺れる。
 悟は静かに呟いた。


「……いつでも来いよ」
「?」
「オマエガキんちょだからさぁ、温くて心地いーんだわ。なんか俺まで超寝ちまったし。もう昼前とか、ははっ、二人して寝すぎ。そして遅刻」
「え、道理で外明るいと……皆勤賞が」
「皆勤賞だ? んなもん腹の足しにもなりゃしねえ」
「……まあ、いっか。ね、腹の足しって言えば、二日酔いって何食べたらいいの? なんか胃のあたりも気持ち悪い」
「俺未成年だからしーらなーい」
 

 
 それから名前は、よく悟の部屋を訪れるようになった。悟といると、朝まで一度も目醒めずに眠れるのだという。

 名前と過ごす夜は、その時だけは、いろんなことを忘れられた。名前を抱きしめていると、その寝顔を見ていると、悟は、言いようのないくすぐったさと切なさに襲われた。

 それを、愛おしさと。

 そう呼ぶのだと知るのは、随分あとになってからだった。

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