流れる星の落つところ


 電気さえ付け忘れていた部屋の中、名前は悟の逡巡など素知らぬ素振りで窓辺へと向かった。窓に名前がぼんやり映る。その視線が、ふと夜空に向く。細い指が窓にそっと添えられた。


「先輩。雪降ってきたよ」
「雪? ああ、ほんとだ」
「……綺麗。でも、寒いね」


 ぽつりと呟いた名前の言葉が、空から落ちる真白な結晶に吸い込まれていくような。そんな錯覚を起こすほど、静かな風景だった。

 一度目は、約束を守れなくて。
 二度目は、親友を手にかけて。

 そうして名前を傷つけた。

 窓に置かれた名前の小さな手に、悟は自身の手を重ねる。あたたかい。生きているもののぬくもりだ。


「名前」
「ん?」


 やわらかな声が問う。窓越しに視線が合う。ひらひらと。舞い落ちる雪屑が、名前の顔をよぎった。

 指先を軽く曲げ、重なった手を握りしめた。腰に手を回す。名前の頭に、こつんと額を乗せる。


「あっためてくれる?」
「先輩も、寒い?」
「うん」


 溢れだす。抑えきれない。
 腰に回した悟の手が、身体の曲線を辿り胸元へと伸びる。その瞬間、名前が微かに息を呑んだのを悟は確かに感じた。


「アハ、なーんてね。冗談だよん」


 名前のその反応に我に返り、咄嗟におどけてみせる。一体何を言っている。一体何をやっている。まだ歯止めが利く今のうちに、早く──


「──名前、だめ、離れて」
「離れない」
「名前」
「いや」


 身体を反転させ悟の首にしがみつくように抱きついた名前を、悟はやわりと押し返す。

 名前、お願いだ、やめてくれ。

 何のために、ずっと、ずっと、守ってきた。暗がりばかりのこの世界で、名前の存在こそが悟のしるべではないか。

 辛うじて残った理性が抵抗する。
 しかしそれを、名前の声が、匂いが、体温が、容赦なく奪っていく。


「悟先輩。わたしはね、先輩に救われた。先輩があの日の約束を今でも抱えててくれるみたいに、わたしもずっと、ちゃんとここにいるよ」


 こくり。悟の喉が小さく鳴る。

 こんなかたちで身体を許すつもりの名前を抱くなど、そんな蛮行を自分が許せるはずはなかった。

 許せるはずが、なかったのに。


「だから泣かないで」
「誰に言ってんの、僕が泣くわけないじゃん。……名前でしょ、泣いてんのは」


 名前の瞳からひと粒の雫が溢れた瞬間、悟の中で、何かが壊れた。

 パリン、と。

 高く、か細く、美しい音を立てて。十年間守りぬいたものが、──壊れた。





 聖夜に吐息が乱れる。
 どうしようもなく欲情した。夢の中で何度も抱いた身体を、ついに悟の陰茎が犯す。


「……名前」
「っは、せん、ぱ……っん」
「名前」
「ん、っ、……悟せん、ぱっ」


 悟は何度も、何度も何度も、存在を確かめるように名前の名を呼んだ。そのたびに必死に応える名前の姿を、もっと、もっと、めちゃくちゃにしてやりたいと思った。

 めちゃくちゃにして、めちゃくちゃになって。

 そして悟しか見えなくなればいい。

 そんな猟奇的なことさえ考えながら、名前の身体を壊れそうなほど抱きしめ、腰を打ちつける。

 
「や、ぁ……変に、なっちゃ」
「名前」
「ん、あ……っぁ、あ」
「ちゃんと僕をみて」
「は、っあ、んん───…っ」


 何度も欲を吐き出した。ぐちゃぐちゃにまみれた名前が、限界を迎え意識を手放すまで、悟は名前を求めた。

 想いを伝えることなど、できなかった。できるはずがなかった。しかし、二度と離したくないと思った。

 撞着ばかりの歪な愛だ。

 それでも、どんな形でも、どんな関係でも。名前の命を手元に置いておきたかった。



 そうして悟は今日も名前を抱く。名前を汚し、己を汚し、その最愛を抱き潰す。

 最後には穏やかな寝息を立てる名前に、呟くのだ。





「……名前はいつ、ちゃんと僕を見てくれんのかな」













 【弐】続

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