流れる星の落つところ


 悟のベッドに名前を横たえる。

 名前が酒を飲んだのは、悟が知る限り、十年前のあのときだけだ。名前はきちんと弁えている。飲み会等でも調子に乗って飲むこともなければ、飲まされることもなかった。

 今回に限って、余程油断していたのか。心に隙があったのか。その真意はわからないが、これは十年に一度の稀な光景だった。

 名前の隣にうつ伏せで転がる。浮いた膝から下がぱた、と往復した。名前の目元にかかった前髪を指先でつまむ。悟の肺腑の奥から息が漏れた。

 こうしていれば、まるで。


 ──恋人みたいではないか。


 これほどまでに近くにいるのに。無限のように遠い。名前、いい加減僕を見て。僕を満たして。オマエの全部、僕のものに。行き場のない想いが、悟の内側で焦げつく。
 
 それを少しでも剝がしたくて、悟は名前の首筋に一度、やわく歯を立てた。そのまま名前のブラウスのボタンを、鎖骨の間から臍へ向かってプチ、プチ、と外していく。名前が身じろぐ。もにょ、と唇が動いた。


「やだあ七海せんぱい。わたしだって、好きな人にしか身体はゆるさないよお」
「七海はもう帰ったよ、酔いどれちゃん。てか何それ、僕のこと好きだって言ってんの?」
「ぼく〜〜〜?」


 むにゃむにゃと要領を得ない名前を、頬杖をつき眺める。悟のその眼差しは、どこか諦めを伴った優しい光を湛えていた。

 
「僕って……ああ、悟せんぱいかあ」


 寝惚けたような名前の目が、悟をぼんやりと捉えた。嬉しそうに目元が緩む。甘えるように両手が伸びてきて、悟の頭がぎゅっと引き寄せられる。


「うん。悟せんぱい、大好き」
「…………は?」


 引き寄せられた名前の胸元、サングラスの向こうで、悟はその目を大きく開いた。名前の呼吸にあわせて、頭が僅かに上下する。名前の胸壁に密着した悟の耳介に、直接声が響く。


「ずっと大好き。あの日からせんぱいは、わたしの世界のぜんぶだよ」


 悟は暫し言葉を失った。
 名前は今、何と言った。俄には信じられない。自分の耳を疑う。

 名前の腕から力が抜けたタイミングで、顔をあげる。はずみでサングラスがシーツにぽとりと落ちた。
                                                                                                                                                                 

「オマエ……何、言って……」
「ふふ、わたしの一生の片想い」


 何を、言っている。

 ふにゃりと笑う名前を、困惑の色が濃く浮かんだ碧眼が見下ろす。

 名前は悟の存在を忘れたように独白する。静寂が包む部屋に、名前の縺れた声だけが落ちていく。


「なのに、悟せんぱいのことちゃんと見ろだなんて……七海せんぱいたら節穴なんだから。悟せんぱいのことなんて、いつも穴があくほど見てるのにね」


 綺麗な目、と。
 ぽつりと呟いた名前の示指が、涙袋をなぞる。

 そのとき不意に、名前がしっかりと悟の両目を見返した。アルコールの影響で覚束ない意識と意識のはざまで、名前の瞳が一時、しかと悟を映す。


「悟先輩。どうしてキスしたの……?」
「は……? いつ」
「この間、出張行く前。……ほら、覚えてすらいないんだもん、先輩ならほんと気まぐれに弄んでくれるよね」


 悟の口が半端に開いた。

 悟にとって、キスは、最後の境界線だった。名前への想いの、最後の境界線。だからキスをしたことはない、はずなのだ。

 あるとすればそれは、悟ではない、もしくは──完全な無意識だ。

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