流れる星の落つところ
⁑
「名前!」
バアン! と蹴破られる勢いで扉が開いた。否、蝶番のネジが数本飛んでいる。最早蹴破られたようなものだった。
「うおーいコラ、何てことしてくれんだ」
高専の治療室内にいた硝子から、冷々たる視線が飛ぶ。それを露ほども気にせず、悟は問うた。
「名前は」
「そっちで寝てる。大丈夫だ、助かる」
「……そう」
胸を撫で下ろした様子の悟を、硝子は横目で見遣った。
悟は確か、遠方へ任務に行っていたはずだ。予定では明日までの滞在だったように思う。
報せを聞いて飛んできた、か。
悟が名前の傍らに寄る。硝子がその横に並んだ。
「どうなの」
「さっきも言っただろう、命は助かるさ。ただ、意識が戻るまでは少し時間がかかるかもね」
「どれくらい」
「名前次第。頭やってっからな」
硝子はコン、と自分の頭を人差し指で叩いた。
包帯の巻かれた額を、悟の指先が撫でる。思い出す。流星群の下にいた名前も頭に包帯を巻いていた。あのときと違うのは、名前がぴくりとも動かないことだけだ。
「名前の今回の任務さあ、僕が戻るまでは行くなって言ってたよね? 何で未登録の特級相手んとこ、名前単身で行ってるわけ」
「上の命令だよ。オマエがコイツを危険な任務から遠ざけようとしてるの、いよいよ気づかれたんじゃない」
悟はほんの一瞬だけ動きを止めた。
硝子に気づかれているようでは、上層部に気づかれるのも時間の問題──そこに数年を要したとはいえ──だったというわけだ。
まったく、足がつかないように暗躍するのもなかなかに難儀だな、と悟は嘆息する。
「……ほんっと腐り切った性根だよ、上層部のジジイ。僕の爪の垢でも煎じてやりたいね。いや、そんなの垢にさえ失礼だ。本当に救いようがないな」
やれやれと頭を振る悟に、硝子が意味深な視線を向ける。悟は名前を見下ろしたまま問い返した。
「……何?」
「あんま言いたかないけどさ、オマエ、名前との関係が半端なままで、これ以上ちょっかい出さないほうがいいんじゃない」
「……その先言ったら怒るよ。自分でもわかってる、そこまで馬鹿じゃない」
「いいや、言うさ。前にも言ったけど、私は名前が可愛いんだ」
硝子は名前の髪をひと束掬った。その指を滑り、髪束がはらりとベッドに落ちる。
「オマエが名前を守りたいのはわかる。けど結果として、余計名前を危険に晒したわけだ。まあ今回はコイツがきっちり生きて帰って、しかもちゃあんと祓ってきたわけだけど。……このままじゃ、いつか名前がジジイ共に殺られるよ」
「……僕、怒るって言ったよね」
悟が低い声音でそう告げたときには、硝子はすでに治療室の入り口でひらひらと手を振っていた。
「まあソイツはそのうち起きるからさ、部屋連れてってやってよ。ここのベッドあんまいいやつじゃないし。あとこの扉の修理費よろしく」
「ハハ、逃げ足の速さは相変わらずだね」
閉まりかけの扉から見える硝子の背に、まったく笑っていない悟の乾いた笑い声が、ぽこんとぶつかって落ちた。
悟はそのまま、世界が止まったかのようにじっと名前を見下ろす。名前は動かず。悟も動かない。瞬きの音すら聞こえてしまいそうな静寂の中、考える。
悟は、死なない。
しかし名前はわからない。
悟がいるときはいい。絶対に死なせることなどないのだから。だが、一緒にいられないときはどうだ。
等級に応じた任務に就くことが多いとはいえ、そんなものはただの便宜上の仮初でしかない。呪いなど、いつどこでどう変貌するかわからないのだから。
そうして一体、いくつの命が失われてきたことか。
だからこそ、誰にも──名前にさえ──違和感を抱かれない程度の小細工をしながら、名前の命に絶対に手がかからないよう立ち回ってきた、はずだったのだ。
しかし今回のような事態になってしまえば、それが却って名前と悟の首を絞める。
もし名前が、本当にいなくなってしまったら。この世界から。悟の前から。そう考えると、心ノ臓あたりがいやにひやりと重くなる。
名前がいなくなっても、きっと悟は、生きてはいける。しかしそれは本当に──悟だろうか。
「……名前、僕決ーめた」
悟が次に動くまで、たっぷり長針半回転分の時間が流れていた。その時間が、悟の覚悟の証でもあった。
よいしょ、と悟は名前を抱き上げる。寝心地のいいベッドへ運んでやらなければ。静かな呼吸を繰り返す名前の耳朶に、悟の唇が触れる。囁く。
「ほんとクソみたいな世界だからさ。ここらが限界だ、さっさと僕のものになろ。じゃないと何しちゃうかわかんないもんね、僕が」
悟から名前を奪おうとした上層部を殺してしまおうか。それとも名前を悟の手で永遠に閉じ込めてしまおうか。
そんな狂気じみた究極の二択。
悟は懺悔のように、真白な包帯に口づけを落とした。