流れる星の落つところ


 ようやく手を止めた悟を、息を整えながら名前は見上げる。


「そいえば先輩、この甘い匂いなに? 部屋も、先輩からも」
「ああ、名前が起きなかったからね。僕が食べてあげたの」


 悟が示した空の包み紙を見た名前は、途端に憤慨した。


「あっわたしがお土産に頼んでたやつじゃん! なんで食べちゃうの、信じらんない」
「全然起きない名前が悪いんだよ。僕暇すぎて映画なんて見ちゃったりしてさぁ」
「映画……? なんの」
「ほら、アレ」


 次に悟が示したBlu-Rayのケースを見た名前は、憤慨を通り越して言葉を失った。


「わたしがずっと観たくて楽しみにとっておいたやつ……ていうかわたしの部屋にあったはずなのに……」
「楽しかったよ、愛のかたちを考えさせられたね。まあ最後にはヒロインが死んじゃうんだけど」
「うっわ最低のネタバレ」
「あと試してみたい体位あったからあとでしよ」
「うっっっわ最低」


 名前は頭を抱えた。硝子が治してくれたはずの頭が頓に痛む、気さえする。

 そして極めつけはこれだ。


「ところで先輩、つかぬ事を伺いますが」
「ん?」
「どうしてわたしは先輩に抱っこされてるの?」


 目が醒めたときからの異様な顔の近さは、このせいだった。ベッドの上で胡座をかく悟の腕の中に、さも当然かのように名前の身体が横抱きでおさまっている。

 あまりにも当然らしすぎる振る舞いと馴れ親しんだ体温に、今の今まで突っ込むことができなかった。

 いよいよ本格的に頭が痛む。

 確かに心配をかけてしまったのかもしれない。名前に対して特別な想いがなくとも、旧知なのだ。仲間として。身内として。名前の身を案じ、悟なりに看病──と言うのが正しいかはさておき──してくれていたのかもしれない。

 それでもこんな抱きしめ方をされては、辛い。優しく程よい圧迫感。耳に触れる大きな胸板で、心臓が緩やかに刻む。

 これではまるで、──恋人ではないか。

 一生の片想いを携え歩いて、早十年。その日々を耐え抜き、恐ろしく鍛え抜かれた名前の心胆にさえ響くような、慈しみに満ちた抱きしめ方だ。

 これ程に残酷な腕は他にない。

 切なく眉を寄せた名前の頭上で、悟はあっけらかんと答える。


「どうしてって、それは僕が名前のもので、名前が僕のものだからだよ」
「……はい?」
「あれ、つれない反応だな。僕に抱かれたまま映画一本分寝続けるなんて、この上ない幸福だと知ってよ」
「いや、……え? そんな長時間この態勢なの? どうしちゃったの、先輩こそ頭でも打った?」


 何かを確認するように、ちいさな手がぺたぺたと悟の顔を行き来する。時たまひょいっと目元の布をずらしては、悟の碧の目を点検するように眺め、そうしてそっと布を戻す。

 そんな奇怪な動作を不思議そうな面持ちで繰り返す名前を見守っていた悟が、「どうもしないよ」と笑う。


「どうかしていたとするなら、それは最初からだ」
「そりゃ呪術師だし五条悟だし最初からどうかはしてたけど、そうじゃなくて……もう、わかってて言ってるでしょ」


 むくれた名前に対し、意味深に笑んだ悟の口元。甘い香りが僅かに残るそこを、名前の目線がなぞる。左右にゆっくり動いた名前の瞳を見届けてから、悟は笑みを作っていた唇を開いた。


「僕さ、心のどっかで、このままでもいっか、なんて思ってたんだよね。オマエが僕に抱かれるのが、同情でも、憐憫でも、どんなかたちでも。ここにいてくれるならいいかってね」

 
 名前はじいっと悟を見つめた。

 理解ができない。悟が何を言っているのか、よくわからない。同情。憐憫。そんな生半可なものではない。見縊らないでほしい。

 そもそも今の言い方ではまるで、悟こそが名前を想っていて、名前が悟を見ていないみたいではないか。


 ──“アナタはもう少し、彼をちゃんと見たほうがいい”


 不意に七海の言葉が脳裏をよぎり、名前はいよいよ混乱した。


「けど、もうやーめた。オマエそのうちどっか行っちゃいそうだし、まどろっこしくて嫌んなっちゃった」
「先輩、何言って……」


 問うた名前をさらっと無視し、悟は尚も事もなげに続ける。
 

「と、いうわけで、だ。名前、僕との海外出張だよ。明日出発ね、フィンランド」
「…………どういうわけ?」













 【参】続

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