流れる星の落つところ


 並ぶ座席はフルフラット。
 その光景に感嘆が漏れた。


「わあ、ビジネスクラスとかはじめて……ホテルみたい。さすが、特級呪術師は待遇が違うね」


 その言葉に、くす、と悟が笑う。その笑みが妙な含みを持っていて、名前は「何?」と問うた。


「いや、可愛いなと思ってさ。ホテルだなんて」
「あ、馬鹿にしてる」
「してないしてない」
「……めっちゃ笑ってんじゃん」


 ぷくく。なおも声を漏らす悟に、名前はわかりやすく拗ねた。

 しかしそれも束の間のこと。

 ビジネスクラスは特級だからというわけではなく、単に悟が我儘だからなのだが、そして渡航先によってはファーストクラスだって当然の如く使うのだが、そこに考えが及ばぬ程度には名前ははしゃいでいた。

 あちこちボタンを押し、機内食のメニューを眺め、スクリーンを物色する。「先輩は何食べる?」「この映画一緒に観ない?」「わ、ほんとにフルフラットだ。もはやベッドじゃん、これ」

 そんな様子を、悟は口元の笑みを隠すことなく眺めていた。



 不可解なことは幾らでもあった。
 名前は高級機内食を両頬に詰め込みながら、訊ねる。


「ねえ先輩、この任務ってもともと入ってたの? 別の任務から戻ってきたばっかなのに?」
「さあ、入ってたんじゃない?」
「さあって……スケジュール見てないの」
「見ないよそんなの」


 ワインを勧めてくるキャビンアテンダントに断りを入れてから、名前は質問を継いだ。


「じゃあ、なんで急にわたしも同行なの? 先輩だけで絶対事足りるじゃん」
「さてね、僕詳しいことわかんなーい」
「わかんなあいって……任務内容は」
「……呪霊討伐?」
「……なんでわたしに聞くの?」


 不可解の解が何一つとして得られない。煙に巻かれた心地で、名前は息をついた。


「街中にサンタクロースいるかな」
「いるんじゃない」
「憂太、フィンランドに来てたりしないかな、偶然会っちゃったりして」
「さあ?」


 飄々と恍ける悟を見て、まるきり答える気がないのだと悟る。こうなってしまえば悟は頑として白を切りぬく。まあ先輩のことだし、と名前は大して気にもせずに追求を諦めた。

 映画を一本観たところでついに睡魔に抗いきれず、眠りに落ちた。ややあってからカチ、とボタンが押される音。悟が名前のシートを倒してやる音だった。

 力が抜けて傾いだ名前の首を直し、毛布をかける。横たわるその身体をひととき無言で見つめてから、悟は小窓の外へと視線を移した。

 そこには、果てのない地球の淵が、ただ。広がっていた。





 降機するや否や、こっちだよ、と悟に手を引かれた。見知らぬ異国の地。馴れぬ喧騒。素直にくっついて歩いていると、某高級ブランドショップに連れられ、謎に高級な防寒アイテムをこれでもかと見繕われた。「こんなお金ないよ」の一言は悟が財布から取り出したカードにより瞬時に黙殺され、そしてその品々があまりにもセンスがいいせいで「これも六眼の力なの?」などとわけのわからぬことを口走ってしまい、「時差ボケしてる子は黙ってついておいで、煩いから」とわけのわからぬ窘めを頂戴した。時差ボケなどまだしていないのに。非常に不本意である。

 非常食、もといおやつも購入し、雑踏を抜ける。現地の補助監督なのか、海外における協力者的な人物なのか。名前たちとは人種を異にする三十代と思しき男性が、空港の外で控えていた。

 悟が短く言葉を交わす。男性の翠瞳が名前を映した。それと同時に、その屈強な体躯に見合う強面が、束の間、些か不釣り合いな柔面を作った。名前も覚えたての「Moi」を返す。

 乗り込む車は左ハンドル。シートがやわらかく身体を包み込む。名前の目にもその高級感は明らかであった。
 
 というか内装は最早リムジン級であった。

 嬉々として車中を楽しんでいると、運転席から「名前はフィンランド初めてか?」と低く滑らかな声がした。


「あは、日本語完璧だった。うん、はじめてだよ」
「俺はこの国で生きて三十二年になる。何でも聞いてくれ」


 彼の口調は終始穏やかだった。
 見目とは異なる親しみやすいその雰囲気に、名前は顔を綻ばせる。
 

「ね、本物のサンタクロース見たことある?」
「いいや、残念ながら」
「そっか」
「名前はいると思うか? 本物」
「ふふ、うん」
「そうか」


 バックミラー越し。
 彼の翠瞳が和らぐ。


「そうだ、任務終わったらムーミ○に会いに行ってもいい? 連れてってくれる?」
「ああ、車は出そう。けどそこから先は悟が連れて行くさ」
「そう?」


 見遣った先。流れゆく景色を鼻歌交じりに眺めている悟に、名前は「先輩とムー○ンのツーショット撮っていい?」と首を傾げた。

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