孤独を噛んで



 名前は棘の傍を離れなかったし、棘も名前の傍を離れなかった。互いが互いを守るようにして生きてきた。あの日を秘密として生きてきた。


「ツナマヨ?」
「うん、行こ」


 桜吹雪。入学の日。
 高専でなら、もう少し自由に生きられると思った。そうであればいいと思った。

 だから高専に足を踏み入れ最初に遭遇した生体に、名前はどこか安堵すら覚え、笑ってしまった。自分たちが身を置いてきた世界の、なんと狭かったことか、と。


「あっはっは見て棘!」
「高菜! 明太子!」
「パンダ! パンダがいる! あははパンダ! えっ手振ってる、かわいい」
「こんぶ!」


 名前と棘はつられて手を振り返した。

 理解は、ひとつもできなかった。
 だってパンダだ。パンダが目の前にいて、何をどう理解しろというのか。

 のっそのっそと二足歩行で近づいてきたパンダを、二人はぐぐぐっと見上げた。大きい。そして大きい。果たしてパンダとはこんなに大きな生物だっただろうか。


「初対面で盛大に笑うなんて失礼な奴らだな。まあ素直な反応でいいけど」
「うわ、喋った!」
「しゃけしゃけ!」
「そりゃ喋るさ、何だと思ってんだ」
「何って、パンダ……?」


 ぴたりと揃って首を傾げてみせた名前と棘を笑ってから、パンダは告げた。


「名前に棘だな。よろしくな、パンダだ」
「ぷっくっくっく……パンダ……」
「す、すじこ……」


 突っ込みどころが多すぎて、それなのにパンダはパンダということしかわからず、二人はついに吹き出した。

 安心したからだ。
 自分たちの生きてきた世界だけが、世界ではないのだと。


「なあ俺、そろそろ怒っていいか?」


 穏やかな口調の裏、パンダの額にちいさな青筋が立ったように見え──実際には毛だらけでわからないのだが──謝ろうとした、その時だ。


「やっほー、なになに、早速仲良くやってんじゃん」
「悟」


 パンダの背後から突然、長身の男が現れた。その容姿とパンダの口から出た「悟」という言葉に、二人は息を詰めた。

 ──五条悟。

 この存在が、二人の希望だった。
 幼い頃から知っていた。その力。その強さ。自らの力で何も変えることのできなかった頃の二人にとって、生きる伝説のような悟の存在は、希望だった。

 五条悟がいる。
 だから、何かが変わるかもしれない。

 そんなふうに身を寄せ合い、乗り越えた日だってあった。


「……五条悟だ、ホンモノの」
「こんぶ」
「はーいホンモノの五条悟でっす、よろしくねん」


 ひらひらと差し出された手が握手を求めているのだと悟り、名前は手を伸ばした。その大きな手まであと十センチといったところで、横から素早く棘の手が滑り込む。

 名前が取るはずだった悟の手を、棘が握る。そのままぶんぶんと上下に振り回した。大きな握手だった。

 一見無表情な棘の瞳からは読み取りにくいが、そこには、今日までの希望を繋いでくれた憧れともいえる存在への感謝と。悟に名前の手は触れさせたくないという邪な気持ちとが、入り乱れていた。

 棘に横入りされたことで行き場を失いすっかり宙に浮いてしまった手で、名前は棘の服の裾を引っ張った。


「棘、ずるい、わたしもお礼がしたかったのに」
「おかか」
「なんでよ、いいじゃん」
「おかか」
「も〜じゃあわたしのぶんの気持ちもちゃんと込めといてよね」
「しゃけ」


 一際ぶんぶんと大きな握手をして、棘は悟の手を離した。その様子をゆるっと笑みを浮かべ見守っていた悟が、口を開く。


「フフ、君らが噂の鴛鴦夫婦だね」
「噂って?」
「いや、こっちの話」


 稀有な呪言師の末裔と、彼が決してその傍を離れぬ少女。狭い呪術界では知られた存在だった。当の本人たちにその自覚はまったくなかったが。

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