孤独を噛んで


 深い、キスだった。
 咥内を棘の舌がなぞる。戸惑った舌を器用に絡めとられ、かと思えばぱっと離れ、唇の表面を擽るように舐められる。

 吐息さえ貪られる感覚につられ、名前は呼吸することを忘れた。数秒ののち酸素を求め、棘の背をとんとんと軽く叩く。

 気づいてくれた棘の唇が離れ安堵したのも束の間、今度は首筋に吸い付かれる。きゅう、と吸われるちいさな音がした。擽ったさと軽微な痛みが快楽へと変わる。

 おそらく鬱として残ったであろう紅色の痕を、棘に愛いものを見る眼差しで見つめられる。その痕にキスを落として、数センチずらしてまた吸う。

 棘はそれを繰り返した。

 口づけは次第に鎖骨へとおりてきて、同時に腰回りの裾から棘の手が滑り込む。名前はぴくりと身を固くした。


「と、……棘」
「?」
「? じゃなくって、どうし……っ、たの」
「……すじこ?」
「ううん、嫌なわけ、ないじゃない……」


 嫌なものか。
 破瓜への恐怖に似た躊躇はあれど、棘と身体を重ねられる日を、どこかで待ち望んでいた。そうすることで棘の気持ちをかたちとして実感したかったのかもしれない。裏を返せば、こんなふうに思ってしまうほど、不安定な日々を送っていた。

 だから、嫌なものか。

 鎖骨にキスを落とす棘の頭を、ぎゅっと抱え込む。


「だけど待って……棘は、ほんとにいいの」
「……?」
「ここなら、誰も怖がらない。傷つけない。傷つかない。独りになんてならない。わたしが守ってきたつもりの世界が、ここではあたりまえだった。……きっとわたしたちも、ずっとこのままではいられない」


 止まったままの世界も、止まったままの時間も、ここにはないのだから。


「そんな時が来てしまっても、どんなふうに変わってしまっても、」


 ──一緒に地獄を歩いてくれるの?


 身体を重ねてしまえば、もう、戻れない気がするのだ。
 自らの生を、生きる意味を、完全に棘に依存してしまう。名前という存在に、棘を完全に縛りつけてしまう。そんな気がするのだ。

 あの日、無意識とはいえ非術師を傷つけてしまった償いの、歪んだ成れの果て。人間の心の、脆弱さの体現だ。


 掠れ、震える名前の呟きを、名前の胸元で頬を押しつぶされながら聞いていた棘は、思う。

 何を馬鹿なことを言っている。馬鹿という単語では表しきれないほどお馬鹿だ。見縊られたものだ。こちとら悟にさえ嫉妬するほど、名前を想っているというのに。

 そして名前の不安は、棘だって同じなのだ。

 心などわからぬ。不変であることなどない。呪術師であれ、非術師であれ、誰しもがそうだ。故に裏切りや別離が生まれ、そのために呪術師は縛りさえ結ぶ。

 悟が縛りになっているかもしれないと言ったとき棘は、思ったのだ。

 そんなの、いっそのこと。

 縛ってしまいたい。
 呪ってしまいたい。

 名前との関係に名前をつけて、その存在が棘の前からなくならぬように。

 そんな棘の心も知らずに勝手にあれこれ悩んでいた名前が、じわじわと憎たらしくなってくる。可愛さ余って憎さ百倍の亜型──諺に亜型も何もないのだが──みたいな。

 故に棘は、可愛くも憎たらしいことをもちょもちょと口にする名前の耳に、かぷりと噛みついた。


「っ……棘、なにするの」
「ツナマヨ」
「あいてっ、逆の耳まで噛んだ」
「こんぶ」
「いっ、たた」


 一人では足りぬ。
 半分が、足りぬ。

 大勢では埋まらぬ。
 孤独が、埋まらぬ。

 二人でなければならぬのだ。

 それが名前に、伝わらない。伝わっていなかった。何でもわかってくれていると思っていたが、最も大切なことに齟齬がある。

 名前の両耳の脇に前腕をつき、棘は名前を見下ろした。反対に見上げる名前の目元が、みるみる赤く染まっていく。


「ちょ……棘さん、その微妙に肌蹴たパーカーとお口に超どきどきします。ていうかそんな目で見ないで、なんか恥ずかしい……」


 くすくすと棘は肩を揺らした。堪らなく愛おしい気持ちで名前の頭を撫で、髪を梳いてひと束持ち上げる。

 言葉を封じてから十年ほど。いつの日か、呪言とおに具以外の言葉を口にすることがあるのなら、それは絶対にこの言葉だと。そう決めていた。

 はらり。指を滑った髪束が、名前の首筋を撫でる。棘の唇がゆっくりと開いた。





「名前、──好 き だ」




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