地球との恋の紡ぎかた


「ん……」


 ぱちん。
 何かが弾けた心地がして、唐突に意識が戻ってきた感覚。のろのろと目が開く。


「んん……?……はっ! 寝てた?!」

(え、あれ?! 俺、いつの間に寝てたんだろ)


 頭が重たい。まだ寝ていたい。
 日頃激しい運動している俺でさえこんな状態だ。彼女は平気だろうか。


「名前さん……大丈夫?」

「……あれ? 名前さん?」


 今度はのろのろと視線を動かしてみる。
 ……そうだ、大分思い出してきた。


『徹、なんか……すごい、出てくる』
『……これちょっとやばい眺めなんだけど』
『んわ、見な、見ないで!』


 抵抗したそうな彼女はしかし、すっかり脱力しきってしまっていて、溢れてくる白濁を俺は眺め、……いや、うん、眺めてた。しばらくして満足してから、拭き取ってあげる。


『はい、どーぞ』
『あり、が、………すぴぃ』
『え、早っ! ……ははっ、相変わらずなんだから』


 意識を飛ばすように眠りこんでしまった彼女を抱きしめて、寝顔を見てたら、俺も寝ちゃったのか。

 そう。そうだ。名前さんのこと抱っこしてたはずなのに。いない。彼女が腕をすり抜けたことにすら気付かないくらい、眠りこけてたみたいだ。

 まだほんのり暖かい。彼女がベッドを抜け出してから、そう時間は経っていなさそう。時刻は、うーん。とりあえずまだ暗いから、朝ではないと思うけど。

 怠がる身体を叱咤して、立ち上がる。


「あれ、お前、それどうしたの」


 寝室から出たところで、ソファの上の猫に目が留まる。「んな〜!」と喉を鳴らす彼女には、小さなブランケットが掛けられている。


「名前さんに暖かくしてもらったの?」
「にゃ〜」
「あっ、ご飯ももらってんじゃん! ズルい!」


 頗るご満悦な様子だ。ちょっと悔しい。
 当の名前さんはといえば、トイレにも居なくて、シャワールームにも居なくて。コートもなければ靴もなくって、俺は一気に目が覚めた。


(こんな時間、……って時間分かんないけど、こんな暗いのに名前さんのバカ!!)





 遠く、遠く。星の瞬きが些か弱まっている。夜中じゃないけど、暁というにはまだ少し早い。そんな時間帯らしかった。

 慌てて連絡しようとして、彼女の連絡先を何ひとつ知らないことに気付いた。住んでる場所も知らない。ピノに聞こうか迷ったところで、思い出す。


『いまね、毎日通いつめて描いてる教会があるの。さっきもそこ行ってたんだ』

 
 画材道具は玄関に置いてあった。だから、ふらっと描きに行ったわけじゃないと思う。でも、そこにいる気がして、取るものも取り敢えず、時計も見ずに家を飛び出した。
 
 はっ。はっ。

 小刻みに浮かぶ白い吐息が、駆け抜けたばかりの凍てついた空気に溶けてゆく。閑散とした道。石畳の上。冷えた空気にひりついた気管が、悲鳴を上げる。


(この感じ……高校生の頃、思い出すなあ)


 例えば、朝練に向かう時。初雪が降って、無性に切なくなって。ほんとは名前さんと見たかったな、なんて。仕舞い込んだはずの想いが突然顔を覗かせて、我武者羅に走った時。雪が積もって、チームメイトと悪ふざけし合った時。
 
 冬の全力疾走って、こんな感じだった。卒業してからはそんな機会もなくなって、なんだかもう懐かしい。

 
「はあ……ッ、着い、た」


 息を切らして辿り着いた一角に、荘厳な光を湛える教会があった。見回してみると、建物から少し距離を置いた場所に、ひとり。

 表情は窺い知れない。けど、教会を見つめていることは分かる。もこもこな上着に耳までうずくまって、ただ、静かに。見つめている。


「名前さ、……っ」


 声をかけようとして、なのにその先が出てこなかった。駆け寄りかけた足が止まる。

 浮かんだのは、いつかの会話。
 あの日。彼女に出会った日の。


『徹の周りがね、光って見えたから』
『“ひと”の周りが光って見えたのはね、はじめてだった』
『徹は、光って見えないの?』



 ──…ちり、りりん。


 宵闇の中に、──彼女が灯る。

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