例えばきみが天使なら


「名前ちゃんの事が大切なのは分かるけど!」

「いくら二人が鴛鴦仲良しさんだからって!」

「さすがに奥手が過ぎる!」

「ムズムズするでしょ!」

「誰がって、俺が!」


 昼飯を食い始めて、早十分。及川はずっとこんな調子だった。

 いい? 恋愛っていうのはね、と尚も語り始めた及川の話を聞き流しながら考える。この一年、何度も考えてきたことを。


 俺は、俗に言う「べた惚れ」ってやつをしてるんだと思う。自分のこと馬鹿なんじゃないかと思うくらい、コイツに惚れてる。

 いや、──惚れ過ぎてるんだ。
 
 抱きしめたい。キスしたい。名前が喜んでくれるなら、何回だって頭ぽんぽんしてやりたい。それは、胸を締め付けるなんて言葉では全く足りないほどの、切ない欲求だった。

 けど、怖いのだ。
 好きだ。大切にしたい。その想いが強すぎて、──怖いのだ。

 だって、壊れちまいそうだろ。

 この関係が。

 触れ方ひとつ間違えば、いなくなってしまうんじゃないか。ふわふわと。俺のところに降り立った時みたく。飛んでいってしまうんじゃないか。

 ただ臆病なだけ。自信がないだけ。ただ、それだけだ。

 ──それだけなのに。

 けらけら笑っている名前を見る。彼女は文句の一つも漏らしたことがないけれど。いつだって、真っ直ぐな眼差しを向けてくれるけれど。

 こんな俺を、いつまで待っててくれるだろうか。


「さて、ところで名前ちゃん。改めて及川さんからの有難ーいアドバイスなんていかがでしょう」
「ふぁい」


 もぐ、もぐもぐ。

 名前は元々食べるのが遅い。非常に。加えて、及川の話に律儀に付き合っていたものだから、食事は全く進んでいなかった。故に彼女の口内は今、クリームコロッケでいっぱいである。


「あのね。名前ちゃんは、もうちょっと男っていうものを知った方がいいよ。性的な意味じゃなくて」
「ふぉえ?」


 ごっくん。

 コロッケを飲み込みながら、名前は首を傾げた。「と、いうと?」この質問に、及川は答えない。


「じゃないと岩ちゃんが、しんどいからさ」


 参った、と思う。

 その通りなのだ。
 彼女は俺から見ても、ガードが緩い。男というものに対して。身体的にも精神的にも。

 男女の友情はあると思ってるタイプだ。それはそれでまあ良いのだが、どこのお花畑で育ってきたのかというくらい、男の単純な下心に気付かない。

 数多の欲望はびこる青春の舞台。
 心配、不安。そんなものはキリがない。気を抜くと容易に刺々しい感情へ変貌を遂げるそれは、いつだって俺たちの日常に潜んでいる。

 しかし、しかしだ。


「どの口がそんな事言うんだボゲェ!!!」


 彼女の唇の端に付いたコロッケの衣を、さらりと取ってのけた及川に。怒声と鉄拳が飛んだことは言うまでもない。






 そんな学園ラブコメディみたいな昼休みを送ってから、二週間ほど経った日のことだ。青い空、白い雲。浮足立った生徒たち。そう、青葉城西高校球技大会、である。

 体育館へ向かう途中で、校内に思い思いに散る生徒たちの間に彼女を見つける。


「おーす、名前はなんか出んのか?」
「おはよ、見てこのカッコ!」
「おお、出ねェのな」


 制服のスカートにクラスTシャツ。その上にジャージをはらり、軽く羽織っている。そういえば名前は寒がりだった。俺なんてTシャツの袖すら捲り上げている。


「はじめのは全部観に行きます! うす!」
「……おう、サンキュ」


 なんだか照れくさくて視線をずらす。ずらして、更にドキリとした。

 恐らく普段と変わらないだろうに。スカートから伸びる真白な太腿が、いつもよりも強調されている気がする。

 ……ゲレンデマジック的な?
 てことは球技大会マジック?

 んや、ちょっと違えかな。まあなんでもいんだけど。とにかくだ。


「なんかスカート短」

 短くねえか。気をつけろよ。

 そう続くはずだった俺の言葉はしかし、もう慣れてしまった黄色い声に、見事にかき消された。


「きゃあー! 及川センパ〜〜イ!」
「今日は何に出るんですか?!」
「絶対応援行きます! 差し入れ持って!」


 最早何も感じない境地に達してきた。よくある普通の風景と化している。こんなのに慣れるなんて、世の中どうかしていると思う。


「んはは、徹クンは今日も絶好調でいらっしゃいますね。わ、見て、はじめにウインクしてるよ? お星様☆まで飛んできた!」
「アイツ、試合で当たったらマジでブチのめしてやる」


 飛んできた☆をバシリと叩き落とす。

 こうして、球技大会が幕を上げた。

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