例えばきみが天使なら

*

「カッコいい……!」


 わたしはひとり、じーんと涙を浮かべていた。球技大会仕様のなんちゃってネクストバッターズボックスに入った、はじめを見て。もう意味が分からない。なんでこんなに格好いいんだろう。

 友人に「ただバッド持って立ってるだけじゃん」と笑われたけれど。失礼な。理屈じゃなくて、格好いいものは格好いいのだ。


「名前はさあ、そんなに岩泉のこと好きなのに、手繋ぐだけでいいの?」


 にしし。と悪戯っぽく笑って。「ぎゅってしたり、キスしたいって思わない?」そう続けた彼女の指は、空中でわきわきと何かを掴んでいる。


「やだなあ、思うに決まってるじゃん」


 ふ、空を見上げてみる。
 染み渡るような青空だ。

 ──めちゃくちゃに好きだった。

 それはもう、滅茶も苦茶も何だってかかってこいって感じの無双状態になれるくらい、好きだった。

 今でもその気持ちはこれっぽっちも変わらない。はじめの事を知るたびに、むしろ膨れ上がっていく。際限なく膨らむ宇宙みたいに、大きくなっていくその様を。わたしは毎日、のんびりと見つめている。

 のんびりと、のんびりと。


 この間、初めて手を繋いでくれた。
 大きくて。少しごつごつしてて。ちょっとだけ震えてた。自分の手がすっぽり包まれた時、喉の奥がぎゅっと締めつけられたのを覚えてる。

 わたしたちの進むペースはきっと、凄くゆっくりだ。でも、それもいいなあって。

 それがいいなあって。そう思った。


「んもー!堪らん!岩泉め、わたしの可愛い名前を返せ!」
「きゃ、っはは」


 わしゃわしゃわしゃ。むぎゅむぎゅむぎゅ。友人からのなんとも可愛らしい攻撃を受け止めていた時だ。はじめが、打席に入った。



 ──衝撃的な映像だった。

 わたしは人生で初めて、肉眼でホームランというモノを目にした。

 大きな放物線を描く白球。それが青空に浮かぶ真っ白な雲と重なった刹那、そのまま空に吸い込まれてしまいそうな、そんな錯覚を覚えた。


「……!? ………っ!!!!」


 感動のあまり言葉を失くし、口だけをぱくぱくさせて、ダイヤモンドを一周するはじめを指さす。思わず友人のシャツの裾を引っ張っていた。


「はいはい分かった分かった、カッコいいね。だからそんな引っ張んないの、裾伸びちゃうでしょ」


 若干呆れた顔で返答してくれたけれど、数秒ののちに「……っぷ、」と押し殺し切れなかったような笑い声がした。


「? なんで笑ったの?」
「ごめん名前、やっぱ我慢できないや」
「へ、な、なにが」


 なんとなく予感はする。
 どうせ、きっと、たぶん、あれだ。馬鹿力がどうとかそんな感じだ。


「だって、ぷくく、岩泉ほんと、ホームランとかほんと馬鹿力!!!」


 ……ほらやっぱり。

 恨めしげに友人を見遣る。一度笑い出してしまうと止まらないのか、もはやお腹を抱える勢いで笑っている。ひどい。そこがまたカッコいいのに。
 
 しかも、しかもだ。

 「うわー!岩ちゃんってばホント馬鹿力ー!」と、バックネット裏からも全く同じ声がした。そうなのだ。そこでは言わずもがなの。

 バレー部御一行様が賑やかにしていた。

 はじめと同じくらい逞しい腕を惜しげもなく晒している御一行様は、【ワイワイ元気な声援】と書いて、半分は【野次】と読む。みたいな応援をしていた。

 その光景に自然と笑みが零れる。胸のあたりがあたたかい。ああ、わたし、このひとたちの事も凄くすきなんだなあ、と実感する。

 はじめはよく、部活の話をしてくれる。
 楽しそうに、嬉しそうに。時には拳さえ握り締めて、悔しそうに。

 それは、彼らの。

 ──積み重ねてきた日々の端々。

 よく、徹クンの話もしてくれる。
 九割、いや、九割五分くらいは悪口のようなそれだけれど。残りの五分が物語るのは。二人の間に揺るがない、絶対的なものだった。

 叶うのなら、この二人の軌跡を、みんなの軌跡を、少し離れたところから気付かれないように見ていたい。ずっと。いつまでも。

 そんな欲望が芽生えてもう久しい。

 そして多分、ほんのちょっと嫉妬している自分もいたりする。男友達に嫉妬だなんて。口が裂けても言えない。恋ってなんだか罪深い。
 
 こんな事をぼんやり考えていると、「ちなみに、」と友人が口を開いた。はじめがホームベースを踏んだところだった。


「わたしはバレー部なら、断ッ然松川」
「あらオトナ」
「んふふ、堪んないでしょ、あの感じ」


 でしょ、と同意を求められても。あの感じ、と言われましても。わたしははじめにべた惚れなのです。

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