風鈴


「これ、名前さんが描いたの?!」
「うん」


 名前さんを抱えたまま上がった河川敷で、タンクトップの裾を無造作に絞りながら、当たり前のように彼女は答えた。そこには彼女“道具”がこれでもかとばかりに広げられていた。

 
「名前さん、絵描くひとなんだ」
「うん」
「これ、水彩画っていうやつ?」
「お、さすが! そうだよ、水彩画ってやつ」


 すごく嬉しそうな笑い声に、俺も脳殺スマイルで微笑み返そうとして──顔を向けた先の光景にしかし、思わずつっかかる。


「ちょっとちょっとちょっと! ちょっと名前さん!」
「ん?」
「いや、ん? じゃないから! そんなに捲っちゃだめ!」


 タンクトップの裾だけを絞るに飽き足らず、どんどん絞り進めて行った結果なのだろう。胸の下すれすれまで上がった裾。そこからちらちらと覗くのは、同じく真っ白な下着だ。

 ていうか普通に透けてるし。


「んもう、誰かに見られたらどうすんのさ!」
「橋の影だしだいじょぶかとおもって」
「だいじょばない!」


 この暑さだから、風邪をひくことはないだろうけど。でも、放っておいたら何をしでかすかわかったもんじゃない。

 慌てて自分の鞄からジャージの上着とタオルをひっぱりだす。きょとんとしてる名前さんの髪とか顔とかをちょっと強引に拭いて、ジャージをすぽんとかぶせる。


「はい、この中でなら脱いでもいいです」
「はい、ありがとう徹クン」


 ジャージの中でもぞもぞ動くその仕草の、可愛いことといったらなんのその。もう、今すぐに連れ帰ってどうにかしちゃいたい。


「って、え! 下まで脱いだの?!」
「? だって徹の服おっきいんだもん、下も隠れるし」
「いや、うんそうだけどね、でもそういう問題じゃ……」


 言い終わる前に、笑いがこみあげてくる。可笑しくてたまらない。こんなにも俺を振り回してくれる女の子がいるなんてね。今まで想像したこともなかったよ。


「このお日様ならすぐ乾くから、ちょっとだけ貸してね。徹は着替えある?」
「俺はだいじょーぶ、ほっとけば乾くよ」


 ついと視線を逸らしたのは、見ていられなかったから。

 俺のジャージにすっぽり包まれて、さっきまでショートパンツから覗いていた足が、今はジャージから出ていて。邪魔そうに折った袖口からちょこんと出た指先も、顎まで覆う襟も。

 そんなのを見てたらね、──俺の理性が、理性が!

 ってなりそうだったから。


「名前さんはなんで、川なんかに飛び込んでたの?」
「ちょっと、気分転換」


 そう言って彼女が指さしたのは、描きかけのキャンバス──彼女がいうに水彩画用、のものがあるらしい──だった。

 それをまじまじと見つめて、俺は次第に目が離せなくなっていく。


「ねえ、名前さん」
「なあに」
「名前さんには、世界がこんなふうに見えるの?」
「……綺麗、でしょ?」


 彼女は「うん」とは答えなかった。かわりにぽつんと、綺麗でしょ、と。

 確かに、綺麗だ。綺麗なんだけれど。俺には、名前さんの目に映るようには見えない。これほどまでに美しく、世界を映すことはできない。


「俺、──名前さんの目になってみたい」
「……ん?」


 名前さんの目は一体、どんなふうに動いていて、どんなふうに景色を辿っていて。どんなものを見て生きていたら、こんな世界が見えるようになるんだろうか。

 
「ほかの絵も、見せてくれる?」
「もちろん! だし、徹も描いてみるといいよ。面白いから」


 絵のことになると、名前さんは本当に嬉しそうに、楽しそうに笑ってくれる。

 懲りずに再度足だけを水に浸す彼女の後ろに腰を下ろして、ぎゅっと抱きしめる。まだ濡れている頭に顎を乗せると、伸ばした首に髪飾りが突き刺さった。

 すこぶる痛い。


「イタタ刺さった……ねえ、名前さんは大学生?」
「んー、どうだろう。とりあえず、高校生じゃないよ」
「何それ、どういうこ」
「だめ、質問はいっこずつ。次はわたしね。徹のこのジャージはなあに?」
「俺ね、バレーすんの。バレーボール」


 へえ、バレーかあ、ポジションは? そう言って首だけ振り向いた彼女の頬に軽く音を立てて口づけて、セッターだよ、と俺は囁く。

 質問が二連続になっていることには、目を瞑ってあげよう。


「セッター、ってあれだね?こう、ボールをぽーんって……?」
「………?」


 想像の中で放ったのであろう放物線を描く球の先を追うように、空を仰いだ彼女。が、そのままぴたりと固まった。
 
 不思議に思って俺もその先を見遣って、──ああ、やばい。あのシルエットは、もしかして、もしかしなくても。

 岩ちゃん、だ。

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