紅葉畑の紅梟

*

「あっ、もしもし赤葦?!」


 小さな液晶に語りかける彼。FUKURODANIとプリントされた背中を見て、不思議な子だな、と思う。

 怖いと思っていた。
 早く離れようと思っていた。
 
 なのに、いつの間にかこころを許している。


「もうちょいで着くって! ほんとに!」
「ん、そう、そんでさ」
「う、ぐ、迷子じゃ、ないデス」

「もー!意地張り子め!」
「だって赤葦怖えんだもん! しかもここどこか分かんねえし!」


 見兼ねて口を挟んだ。何も持っていない自由な右手を、つい差し出してしまう。ほら、ケータイ貸して?

 ごめん! 片手をあげて申し訳なさそうに、勢いよく渡された液晶。秋風に冷えていた手が、彼の体温に触れる。

 一瞬のこと、だったのに。
 指先がじわりと熱を持つ。


「えっと、アカアシくん?」
『……?』
「あのね、」


 電話の向こう。アカアシくん。

 落ち着いた低い声が、なめらかに耳道を伝っていく。瞬時に現状を把握し、迅速かつ的確に答えてくれる、保護者梟。


『……木兎さんがご迷惑をおかけしてすみません』
「ふふ、どういたしまして」


 きみも、この子を放っておけないんでしょ?
 胸の中で、そっと問う。答えは明白だ。聞く必要などない質問。 

 迷子梟はちゃんとお届けするね。そう伝えて、目の前の彼を見上げる。

 特徴的な髪型。
 おおきな笑顔。

 梟。
 
 ボクト。

 その響きを耳にして、やっと合点がいく。道理でどこかで見たことがあると思った。この前、同期が関わっていた特集で、トップを飾っていた彼だ。


「よし、行こっか」
「マジで! 案内してくれんの?!」
「うん、全然反対方向だったし、また迷子なっちゃうからね」

 
 早朝の公園。少しだけ上がった気温。紅葉の下をくぐって歩く彼のツンとした髪が、時折枝を弾いている。
 

「わたし、きみのこと知ってたみたい。ぼくと、みつたろうくん」
「は?」
「あれ、違った?」


 先日、ふと立ち寄った同期のデスク。広げられた記事。「エーススパイカー 木兎光太郎!」と、特大の笑顔とともに書かれていた。


『これ、この間取材してた高校の?』
『おー、苗字じゃん、久しぶり』


 ねー、久しぶりな感じするけど三日ぶりだよ、と返しつつ、その文字を追う。

 珍しい漢字だね、と呟くと、ぼくとっつうんだよ、と教えてくれた。でも、下の名前の読み方までは聞かなかった。なんたる不覚。


『全然、物怖じしなくてさ。むしろもっと撮って撮ってって、取材終わんねえの』
『あははっ、確かにそんな顔してる。でも、楽しかったでしょ』
『苗字は?』


 その意味は、問うまでもなかった。
 苗字、お前の調子はどうなの。ちゃんと撮れてんのか? 大丈夫か? ちゃんとシャッター、押せてるか?


『……ありがと、だいじょうぶ』
『今度飲みに行くか?』
『こんど、ね』


 また、逃げてしまった。

 いつからか自分の画を撮れなくなってしまったわたしを、心配してくれているのに。その優しさに救われているはずなのに。

 でも同時に、──辛いのだ。

 撮りたいのに撮れない。こうじゃない。この画じゃない。違うの。違う、のに。

 その事実をただ、突きつけられて。



 ふ、彼の声に意識が引き戻される。
 顔を上げる。あっけらかんと笑う彼の顔が、その瞳が、朝陽の中に目映かった。


「こうたろうな!」
「こーたろー?」


 追いかけて呟いた彼の名。
 やけに耳に馴染むその名。

 その音に一瞬目を閉じて。再度目を開けると、彼は、今度はなんともいえない微妙すぎる表情をしていた。

 ころんころん。
 表情が変わる。

 目が、離せない。

 同期の彼を思う。この子撮るの、楽しかったでしょう。「終わんねえの」なんて、あんなふうに言ってたけど、必死でシャッター切ったんじゃない?


『一瞬の表情の中に滲みでる生き様を、捉える快感が堪んねえ』


 そう話していた。まだ、この世界に身を置く前。この世界を追いかけていた頃のことだ。
 

「? ごめん、そんな微妙な顔して、いやだった?」
「や、それがいい! そやって呼んで!」


 アカアシくんとの待ち合わせ場所は、もう目と鼻の先だ。公園の入り口。呆れ顔で立っている彼が、きっとそう。

 その証拠のように、隣にいた体温が駆けていく。

 同じジャージ。同じくおおきくて、ふたりとも同じ空気を纏って。


「あかーし!」
「……迷子とか」
「まーまー! 無事合流できたしいーじゃん! 他のヤツらは?」
「とっくに先に行きました。走りますよ、練習試合に主将が遅刻とか、ないですから。マジで」


 ぺこと頭を下げてくれる。
 アカアシくんって後輩だったんだね。大変だね。頑張ってね。無言でエールを送って、無事保護者のもとに辿りついた彼に視線を移す。

 彼とは、ここでさよなら。
 きっともう、会うこともないはずなのに。


「ほんと助かった!サンキューな!」

 
 またねと腕を振り回す彼。

 その笑顔に、また会えることを。どこかすみっこで期待しているわたしが、心臓をつついた。

ContentsTop